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オタクの記事一覧: 対話の世界

対話の世界

カーロリ大学日本学科の議論の授業用ブログ

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オタク

 私はオタクのことをよく知らないが、知っている限りでは、必ずしも日本の外にオタクが存在するわけはないような感じがする。インターネットでこの単語を調べると、「geek」、「nerd」、「enthusiast」、「otaku」という英語訳語が出てくる。最後の言葉以外は全部オタクに真に等しくなく、英語圏の文化でオタクに近いものである。私は若い頃アメリカで住んでいたから、「geek」と「nerd」の現象を良く知っている。この二つの言葉はアメリカの文化の特徴で、そんな人は本当にアメリカだけで存在する。最初に「nerd」を定義しよう。その人とは普通より知的能力が高いか、ある地域で優れた能力を持つが、社会技能や姿などで弱点を持つ人のことである。外見にも固定概念がある。胸のポケットにペンが幾つか付けられた白か格子のシャツを着ていて、真ん中で折れた厚い眼鏡がテープで修理されている痩せた男のイメージである。もちろん、このイメージに当たるものはアメリカでも珍しい。ハンガリーでは今までこのイメージに近い人さえ見たことがない。多くの人に不格好と思われている優れた人はどこにでもいるに違いないが、「nerd」の固定されたイメージに当たるものはそうではない。「geek」は「nerd」と少し違う。「geek」とは優れた能力があるわけではない。しかし、「nerd」と逆に、多数の人が彼に対しては親しみを感じる可能性がある。「geek」の特徴は、多くの人が変に思う趣味を一生懸命やる人のことである。この人もいじめられ、社会技能が下手なことが多いが、呼称は外見については表しておらず、以上に言ったとおりに親しみやすい人の可能性もある。こんな差の細い意味合いを例えばハンガリーで適用するのは無理であろう。この二つのカテゴリーはアメリカの文化の特殊のものだからである。オタクの現象も同じである。その単語が指すイメージに近いものは世界中で発見し得るが、ぴったり当てはまる人は日本にしかいないと思う。(ヤーノシュ)

最近日本のポップカルチャーは世界中で大人気がある。その中でも、アニメや漫画が一番有名だろう。日本では、アニメが好きな人はよく「おたく」を呼ばれているが、日本以外にもおたくがあるのだろうか。この質問に答えるのに、まずおたくの定義を探した方がいいだろう。ヴィキペディアは「おたくはサブカルチャーのファン集団の総称。独特の行動様式、文化を持つとされる」と述べ、「趣味に熱中している人物を指して、その趣味の分野に関わらずおたくと呼ぶこともある」とも指摘する。この定義に基づいて考えたら、ハンガリーでもおたくという人物があるには違いないが、アニメが好きだからと言っておたくと呼ぶのは間違いだろう。ハンガリーでも年二回アニメコンというイベントが行われている。それは、簡単に言うと、おたくのコンベンションだが、アニメコンは本当におたくのためのイベントだろうか。ハンガリーでは、日本とは違ってアニメコンでは日本文化に関するプログラムが幅広くて、それは現在の日本文化をハンガリー人に伝えたい意志が強いからだろう。アニメコンに参加する約6000人の中にはもちろんおたくも大勢いるが、ただ日本のアニメやポプカルチャーに興味がある人も多いだろう。そういう人たちは趣味に熱中しているわけではなく、年二回アニメコンに参加しているだけだろう。他の日々には学校に通ったり、仕事をしたり、家族を作ったりして、自分の生活があるかもしれないだろう。趣味に熱心すぎて、本当の世界と離れて、自分の世界に閉じこむのはやはり危険なことである。けれども、それはアニメのせい、それとも日本文化のせいということは間違っているではないだろうか。アニメが好きな人の中にも一般の生活をしている人が多いし、アニメを全然知らない人の中でも、自分の世界に閉じこむ人が多いだろう。(クリスティナ)

ハンガリーにオタクがいるかいないかと言えば、まずオタクという人種の定義が必要だと思います。日本のオタクと言えば、ただのアニメとか鉄道が普通より好きなファンではなくて、性格が曲がった積極的なマニアのことです。オタクは普通の世界は苦手で、アニメの世界とかに閉じ込められている言えばいいかもしれない。ヒキコモリにちょっと似ていると思います。先週は皆でハンガリーにも日本のようなオタクがいるかどうかということについて話をしたのですが、たぶんいないじゃないかという結論になりました。もしいても、ハンガリーのオタクは日本とは違う雰囲気があるはずです。なぜ違うかというと、その原因は社会の差異である。現代の日本の社会は、激しい資本主義と固い伝統的な日本の価値観が混ぜられて、ヨーロッパから見るとめちゃくちゃです。そういう究極的な社会で、(こちらの観点から見ると)究極的に生活が変な人種が産まれます。でも日本から見るとこれはたぶん普通です。オタクという存在は現代の日本の社会の、意外なことが多いという特質をよく反映してると思います。(ジュラ)

実は漫画とアニメの世界について私は全然詳しくないですから、オタクはどんな人かもよくわかりません。ですから、オタクの意味を辞書で調べてみたところ、英語の 「fanatic 」と「addict」という言葉が出て来ました。また、広辞苑には次の定義が見つかりました。「特定の分野・物事にしか関心がなく、その事には異常なほどくわしいが、社会的な常識には欠ける人。仲間内で相手を「御宅」と呼ぶ傾向に着目しての称。」従って、もちろん人によることですが、オタクは良い所と悪い所もあるらしいです。英語の「fanatic」はいい意味もあると思いますし、広辞苑によるとの「異常なほどくわしい」のがいいところだと思います。しかし、「addict」と「社会的な常識には欠ける人」とはあまりいいことではないと思います。あるオタクはただのファンなのか、依存症なのか自分でコントロールできれば、そこまでは問題ないと思いますが、ただのファンでも周りに迷惑を掛ける可能性があります。例として一番根本的なことを言うと、家事の手伝いをしなかったり、お金を周りから見ると無駄なものに使ってしまったり、家族生活にあまり参加しなかったりすると、一緒に住んでいる人達にとって必ず迷惑になると思います。私の意見はとてもシンプルですが、常識があって社会人になれる人は趣味としてアニメと漫画などのファンでも全然問題ないと思います。しかし、最初はオタクで、結局ニートかひきこもりになってしまうと、家族にとっては大きな解決しないといけない問題になります。日本の社会レベルでも、こういう社会問題がもっとひどくなると、できるだけ早く対策について考えないといけなくなると思います。(シャーラ)

私はアニメやマンガの世界にあまり詳しくないが、日本とハンガリーのオタクはちょっと違うのではないかと思う。「オタク」この言葉はハンガリーでアニメやマンガの好きな人を指し、主に若者の間に流行っているようなので、私にとってむしろファッションの一種に見える。少年は音楽など好きなものによって自分のアイデンティティーを定めるし、それによってグループを作るから、様々なアイドルにほれたり、服装などによってこれを表したりするのは何も不思議なことではないと思う。そのため、ある人はアニメ・マンガを趣味として扱い、これによって幸せになったら、完全に大丈夫だと思う。一方、日本ではアニメのキャラクターと結婚し、本当の人間関係を作れなくなる人もいるそうであるが、このような現象はむしろ現実や人生に直面できない人の心理的な問題だといえるかもしれない。その上、アニメとマンガは暴力などが多いとよく批判されるから、あまりいい影響を与えないと考えられている。実はアニメやマンガの暴力は本当に日常的なものとして登場するので、どのような影響を及ぼすか私も少し心配している。(エリカ)


 エステルさんの卒業のテーマはオタクでした。とても面白いテーマだと思います。しかし、面白いけど、難しいです。どうやって誰がオタクかを決めるのでしょう?エステルさんはファッションについて話しました。でももちろんオタクのことはファッションよりもっと深いのことです。グループでコスプレについてはなしました。誰かがコスプレはやばいと言いました。それでどうして『やばい』かと聞くと、「自分がダメだと思うので、あるキャラクターに似せようと思う。」と言いました。そうかもしれません。でも、これはコスプレの問題ではないと思います。どんな人も、ちょっとは誰かににたいと思っていると思います。たとえば自分の母親に似たいという人もいるでしょうし、あるのアイドルに似たいという人もいるでしょう。
 私は日本のオタクと会ったことはないけど、たくさんのことを聴きました。エステルさんの論文も読みました。エステルさんの質問は日本でもちろんオタクと言う人がいるが、ほかの国でもオタクがいるのかということでした。エステルさんはこの質問に『はい、いる』とこたえました。エステルさんによると「アニメファンもオタク』とのことです。この意見はいいと思いますが、オタクは日本だけに生きていて、たとえばハンガリーではこのような人をファンというんじゃないかと思います。その上たぶん国と文化も違うからヨーロッパでそれともアメリカではオタクのような人は生きられないかもしれません。ということで日本のオタクとぴったり似合う人は日本にだけいるのではと思います。(ジュジャンナ)

オタクってどんな人ですかと聞かれたら、私たちは簡単に答えられないだろう。国によって違いそうな意味を持つ『オタク』の定義は色々あるが、何とまとめていけばよいか考えてみよう。広辞苑によれば『ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社交性に欠けている人物として説明される。』と書かれている。インターネットで調べてみると『現在は、主に20代以降の、アニメ・漫画・ゲーム・アイドルなどを愛好する人(たち)のことを指す。ファッションに関心が無い、自室にこもりがちな暗い人物への蔑称として使用されることもあった。http://d.hatena.ne.jp/keyword』という定義が出てくるので、やはり元々は日本の、世界中に人気のあるポップカルチャー(ゲーム、アニメ、マンガ)の熱心なファンに対し、結構ネガティブなキーワードとして使われている場合が多い。しかし、日本でかなりネガティブな意味を持つからといって、世界中のどこでもそうであるという基本ルールはないだろう。例を挙げると、日本のオタクと比べて、ハンガリーにいるオタク系の人たちがそこまで熱心なアニメやマンガのファンではないと考える。自分の暗い部屋に一日中隠れている非社交的な人はいると思うけれど、そういう人たちははっきりいうと精神的に少し病気だろう。別にアニメやマンガがそこまで好きなわけではないが、自分の世界に生きたい人である。アニメやマンガの世界は事実と完全に違うので、引き込もりする若いひとはそういう世界にハマっているには違いない。普通の日常生活を送っているハンガリー人のアニメやマンガのファンがむしろ多いと思う。年に一回、二回ぐらいアニメコンに行ったり、同じ興味を持つ友達と会ったり、話たりするが、それ以外は普通にお仕事したりするのだろう。しかもハンガリーのアニメコンはアニメやマンガの熱心なオタクにいいイベントを作りたいだけではなく、日本文化もきちんと広げたいという目的があり、目的を貫くために音楽、書道、アート、オリガミ、カラオケ等、文化関係の発表なども頑張っている。以上をまとめると、ハンガリーでは、オタクの言葉をアニメやマンガのファンによく使われているが、その意味は日本のオタクの人と違うだろう。(マリアンナ)

また言葉の意味から始める必要があります。日本語のおたくのような言葉はハンガリー語に翻訳するのがあんまり簡単ではありません。生活あるいは趣味の観点でみれば、「抜本てきに好きなものを非常に大切にする、夢中になれるひと」の定義が正解かもしれません。この定義はおたくだけではなくて会社員、学校先生、研究者までの人達にも使われます。なぜなら天才の研究者も好きなものに夢中になれるし、ブローカーにも同じ気持ちが感じられます。違っているポイントはおたくはまったく有用な活動していない人と思われている点です。社会はいそうろうを排斥して、今も社会にとって役に立つ生活を優先します。だが、機械はなんでもできて、人の代わりも殆んどできるこの時代に、人は変わると思います。人生の意味を考えると、おたくは私たちよりずっと幸せな生き方をしているでしょうか?(ダーニエル)


「オタクって何ですか。」どんな人でしょうか。一般の人とどこか違うか。オタクの世界をまったく知らない私に、実に答えにくい質問です。オタクで有名な秋葉原に行った事がありますが、そこに行ったからと言ってオタクに詳しくなれるわけではないと思います。しかし、エステルさんが発表で見せてくれたハンガリーのブダペストで行われたアニメコンの写真を見たら、日本人のオタクとハンガリー人のファンははっきり見える相違点が結構多いと気付きました。私は意識的に日本人の場合は「オタク」、ハンガリー人、また外国人の場合は「ファン」という言葉を使っています。何故ならば、日本人のオタク独特の姿、行動や暮らし振りは外国人のファンにとって真似ることはできないみたいだからです。もちろん、私は大変間違っているかもしれませんが、例えば、エステルさんが述べたオタク風のショッピング、コスプレ、カラオケ等、オタク独特の行動という、その全ては外国人のファンなら何だか本物の日本人オタクとどこか違うような感じがします。文化的な背景のこととか、ファンは基本的に日本人の性格をしないこととか、また生活スタイルかファンは独自性を持っていないこととかと思っています。ですからちょっと考えてみれば、外国人のオタク、そういうのは存在しないのではないかと思うわけです。(ソフィー)

もともとハンガリーの場合はオタクの言葉をどの現象に対して使えるかははっきり出来ませんでした。日本のオタクは本来ファンですが、その程度が極端になって引きこもりのように閉鎖した生活をおくる人達だとマリアンさんが教えてくれました。けれどもエステルさんの発表によるとハンガリーのアニメコンに出席するファンに過ぎない参加者の全員がオタクだと提示しました。ならば日本のオタクとハンガリーのオタクは全く違う存在でしょう。この点は誤解している可能性もありますがだれかが教えてくれたら嬉しいです。対話に出たもう一つの考えはオタクは極端に閉鎖した生活を送る人なら、その人を助けることです。引きこもり近い生活の人はやはり治療法が要ると思いますからハンガリーにもこういう現象があるのならすぐ解決方法を考えればオタクの幸せにもなるでしょう。結論を出すのなら、エステルさんの研究が目指せる一つの新しい方向としてアニメのファンに行きすぎを避ける方法を教えるためにオタクの心理学的状態やその治療を調べることがあると思います。エステルさんの研究を成功するように応援しています。(レベンテ)

オタクというのはあるテーマに非常に興味を持っている人を指しています。最近ハンガリーにもアニメと漫画が人気になってきて、アニメオタクの数が増えている。けれどその人達を本当にオタクと呼んでいいのでしょうか。人の多くは「オタク」という言葉を聞くとネガティブなイメージがします。なぜならオタクのイメージは「汚い部屋に住んで、ひきこもりで、三次元に興味がなくて、部屋がグッズで一杯」ということだからです。つまり英語の「nerd」という言葉に近い意味です。これを知っているアニメ好きの人の大勢は「オタク」という呼び方が相当に嫌いです。それはその人達はただのアニメのファンだからです。趣味としてアニメを見ることや漫画を読むことが、マニアックではないです。ハンガリーでは最も大きいなアニメのイベントはアニメコン(アニメコンベンション)といいます。一年にいくつかのアニメコンがありますが、最も多いには何千人も参加します。プログラムも様々あるので、ひまになる可能性は低いです。アニメコンにはマイナスの影響もあるが、ポジティブの影響もいくつかあります。けれどその中でも一番大事なのは社交を深めることだと思います。(エメシェ)
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