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色の力の記事一覧: 対話の世界

対話の世界

カーロリ大学日本学科の議論の授業用ブログ

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色、文様、衣服について

 確かに、色が力がある。感覚を通じて自然と人工の符号が人間に影響を及ぼすので、みな多かれ少なかれ力がある。体験するにつれて、現象の体系化された特色が固まって行き、現象に期待される特色が反応を定めるようになる。例えば、森で散歩したら葉が赤くなってきたことを発見する時、天気がどんどん寒くなってきているという判断が出て来て、感情的な反応、また体感までを含める反応が現れるかもしれない。一方、道路で散歩しているときに赤のサインと出会う時、注意が必要だという情報が期待され、よく気を付けてサインを読もうという反応が現れる傾向もあるであろう。最初の例の場合は、自然における因果関係の知識、二つ目の例の場合は「赤」の文化的な特色の知識が反応を起こさせた。
 色が人間の精神を安心させたり、不安にしたりできる心理的な力があるとは良く聞かれる。しかし、その心理的な力が色自体のことか、それとも色の文化に生じられた一種の機能だけなのであろうかが問題であると思う。医学では色の力が良く使うことが常識である。昔だとアーユルヴェーダというインドの医学では体の部分の中心となるいわゆるチャクラが七つあるが、みな自分の色も持つ。病気は体の中の色が不平等になることによるもので、患者が適当なる色の実用によって自然の安定を再建したら治療ができるという考えがあったそうである。理論が伝統になったら、その文化の人たちが伝統的な手法に信じる故に、治療が偽薬のように良く効く可能性がある。しかし、体の中の部分に色が付いてることは、自然のことではないであろう。それに、色に付いた文化的な内容は一つの文化の中でも多面的に現れる可能性もある。例えば、葉の赤は別として、西洋の伝統的な「赤」も多面の意味を持つ。「危険」とそれに基づいて「禁止」などという警戒色の機能の外に「あい」の象徴の色である。異なる文化の場合は、この差がもっと広くなるであろう。患者に与えられる色の影響が偽薬効果かどうか決断しにくい。ある検査では偽薬の薬の中で寒色より暖色の方が効くという結果が発見した。しかし、これも色自体の特色ではなく、色の文化的な内容のおかげかもしれない。薬が赤いので、もっと強い筈だという期待が出るからである。そのようの疑問のために、色が文化を外した人間にどんな影響を果たすかは不明で、調べようがないと思う。(ヤーノシュ)

ソフィーさんの着物の模様や彩りについての発表を深い興味をもって聞いた。どうしてかというと、この21世紀の中でイロや模様など、飾りそのものの意義が少し無視されているといつも感じているからである。黒い服を着たら細く見えるなどぐらいは女性なら皆詳しいようであるが、模様や色によって様々なことが表されるし、季節に合わせる必要があると思う人は少ないと思う。服といえば、どこでも同じ色ばかり見られるし、模様といっても、頭蓋骨みたいなものが流行っているようであるが、どのようなメッセジを伝えるか私にはすこしも理解できない。服だけではなく、どんなことでも便利さや安さだけが注視され、綺麗さや意味が徐々になくなっていく傾向があるのではないか。本当に残念に思う。とはいえ、無意識的に皆が色のメッセージを感じると思う。例えば、好きな色も嫌いな色も皆にあるであろう。はっきり分からなくても、そのようなこともある特別な意味を持っているのではないかと思う。(エリカ)

江戸時代の振袖は間違いなく和服の一種として工芸美術的な価値を持つ。しかし、振袖はただの衣装だけではなくて、女性の自己表現の方法と見なした方がいいと同級生が今回の授業で主張した。振袖の色や模様を通じて自分の社会的位地を始め、婚姻状態、年齢、季節感さえ表すことができた。最近グローバリゼーションの影響で世界中どこでも人々は同じ洋服を着ることになった。すると、自分の国籍、社会階級、婚姻状態などを表す伝統的な衣装はもう使われていない。しかし、この状態でも若者は自分が属するサブカルチャーの特別な服を着ることが多い。大人になって、就職したらその仕事に求められた服を着られなければならないが、若いうちに服をもって自己表現をする程度は強い。この点は、江戸時代の女性とは違わないと言えるだろう。この立場から考えてみると、「衣服を通じる自己表現」という歴史的な習慣は人々の意識で強く残っているのではないだろうか。(クリスティナ)


どんな服を着ても、それは何かのメッセージがあります。もし意識しなくても、服を皆自分で選択して着ています。人が服で伝えたいメッセージは色々あります:金がある、金がない、普通、特別、明るい、暗い、おもしろい、近づいてはだめ、社会人、社会外の人、高級など。どんな服がどんなメッセージを持つか、それは着ている時点と場所、あるいは着用するときの社会によって決められています。Zsofiaさんの発表によれば、江戸時代は紫色の服は「貴族」だという意味を持っていたようです。なぜなら、そのころは服を紫色に染めるのがずいぶん金がかかったからだそうです。それから昔の日本は茶色は貧乏の象徴だったという話もありました。しかし江戸時代の貧乏な人が「貧乏だから」といってわざと茶色の服を着ていたわけではないと思います。茶色の服は一番安かったではないかと。いま顧みると江戸時代の衣装の色の象徴ははっきりわかるかもしれませんが、当時は人々は自分の服の象徴などを意識していたのかなと疑問に思います。自分は街の中の人々を見て、その人たちを判断します。いい人かな、怪しい人かな、判断するとき最初はやっぱり服装を観察します。意識していない象徴がいっぱいあるとおもしろいです。(ジュラ)

ファッションの面だけではなくて、色は生活の様々な面で大切な役割を果たすと思います。それぞれの色は昔からずっと意味があって、それぞれの文化で色々なことの象徴になっています。例えば、喪の決まっている色はヨーロッパでは黒ですが、なぜかわからないけれども、洋服は全部真っ黒の若者の姿を見ると、ロック音楽のファンだと思ってしまってしようがありません。ラテン民族は情熱的なイメージとつながっていそうですが、派手な服もよく着ています。情熱のイメージには赤や他の派手な色が伴います。部屋の壁の色を決める時もよく考えないといけないと思います。部屋の色を間違って選ぶと、壁みたいな大きな表面をずっと見ることで色々な良くない影響を受ける可能性もありそうです。しかし、逆に壁の色でいい影響を受けることもあります。本当かどうか知りませんが、ブリトニ・スピアズが演奏の前に準備する部屋の色はピンクにしてくださいといつも命令していると聞きました。なぜかというと、ピンク色は声帯にはいいと言われているからです。他の例だと、緑色には落ち着かせる力があるという発見もあります。病院の壁も多分同じ理由で緑色のペンキが塗ってあります。(シャーラ)

ジョーフィさんは江戸時代における女性用衣服に秘めやられたメッセージについて話しました。私こんなことにぜんぜん気づいてこなかったのでとても面白い発表だったと思います。色と文様にそんな意味があったとは。すばらしいです。で、現代に文様と彩りはどんな意味はあるかということですが、このことは全部の文化で必要だと思います。たとえばハンガリーでは葬式で必ず黒色服をきていますが、ほかの国でたぶん白色服や赤色服が必要です。だからたぶんほかの国
へ行ったら習慣を勉強することが大切です。ジョーフィさんの発表の後、グループで現代社会で色の意味についても話しました。たとえばエモと言うひとは度々黒い服を着るし、ストライプもようの服を着ると思います。そしてロッカー(Rocker)は黒色服ばかり着ています。服の色は江戸時代のように人がどこに属することを決めていると思います。例えば高校でみんなは自分の道を探しているのでグループを見つけたときそのグループの『色』を着始めると思います。ある人は高校性になる前には桃色が好きだったけど、高校で自分の人物を見せるために多分、ほかの色、たとえば緑色や紫色が好きになると思います。でも高校を卒業した後少し大人になるためにまた自分の好きなものが変わる可能性があると思います。で、着る色もチェンジすると思います。でもそのときはグループのせいではないと思います。このように江戸時代の日本だけではなくて、ほかの国、ほかの時代にも。模様と色には意味があると思います。(ジュジャンナ)

江戸時代の振袖の色や模様の発表を興味深く聞きながら、色や模様の意識されている価値・メッセージなど、そういうことが現在にもあるのだろうかと考えた。遠いむかしは、男女は自分の服装にものすごく注意していたので、性別・身分意識・年齢・季節などによって服を着ていたそうである。現在の世界を見ると、人は自分の服装がどんなメッセージを表せているか全く意識していないと思う。流行しているブランド・イロなどしか気にせず、あの人に似合ったとしても、色や模様はバラバラであろう。特に若い女性の間に『テレビや雑誌のCMで好きなアイドル皆はそれを着ているから私も着たい』のような考え方もきっとあるだろう。他の例を挙げれば、最近若者の間に流行しているエモというスタイルがあるが、彼等の手錠や頭骨を表している黒ずくめの10代の若者の姿が私にとって全く理解できない。なぜかというと、その模様が全然いい意味を持つはずはないし、どうしてそれがそんなにカッコイイと考えられているかは私にとって不思議な謎であるからである。現在は洋服がどこでも買えるものであり、有名ブランドの高い服装を着ていても、『あの模様や色を表している洋服を着る』という精神的な、そして社会的な考え方が消えていくのではないかと思っている。5ー6歳ぐらいのとても可愛い男の子がお母さんに頭骨ずくめのズボンやシャツを着せられて通りを歩いてる姿を私は一回見たことがある。それを見るなり、私はとてもイライラしてた。自分の子どもはどんな服を着ればいいか、親の責任で親が決めるのであろう。きちんと親の役割に注意して、可愛い子どもの存在に似合っている服装を着せたほうがいいのではないかと私は思う。(マリアンナ)

色は子供のころから私にとって大切なことです。絵や絵を描くことに興味を持っているので、私にはあまり好きではない色がないんです。でも好みの色は状況によって異なります。たとえば大好きな若草色は服としてはあまり着ません。金色も好きですが、アクセサリーやジュエルとして選ぶのは銀や銀色だけです。金色のジュエルをあまり使いません。肌色に似合わないんです。欧米には色の意味よりたぶん色のタイプがもっと大切です。たとえばどんなタイプの人にどんな色が合うかなどです。春・夏・秋・冬のタイプもあります。それぞれのタイプにはそれぞれの特徴があります。髪、目、そして肌の色もこのタイプに入ります。でも自分のタイプを知っている人の数はハンガリーではあまり多くないと思います。もちろん欧米でも昔から色に意味を付けていました。たとえ白は雪のように清浄の感じがするし、赤は火のようにあつく、そしてバラの赤は恋の意味を持っています。緑は自然を象徴しますし、黒は死のイメージを持っています。欧米には色にもステレオタイプがあります。女の子にはピンク、男の子に青が着させる親がよくいますし、高齢者がカラフルな服を着たり明るいメイクアップを使うのはあまりよくないとか、結婚式にはホワイトやパステルカラーやクロが合うことなどです。(エステル)

色の対話はとても面白かった。確かに色は日常生活を少し変えることが出来ると思う。例えば自分の部屋の色とか、着てる服の色は、気分を変えると思う。それに気分だけではなく、猛暑の夏の日に黒い服を着てたら、すっごく暑くなるでしょう。動物の場合も色はよくとても大事な役割を果たす。例えばたくさんの鳥の場合は、色によってペアーを選ぶ。色はどんな力が持ってるか、そして人間の気分や業績を変わることが本当に出来るかについては今も研究が続けられているそうだ。ある大学は100メートルを普通のスポーツの服の選手に走らせて、少し休んだ後黄色のシャツに変えて、又同じ100メートルの時間を計った。結果、黄色のシャツで走った時間は3%ぐらい良くなったということがわかったそうだ。(アルネ)


昔から服、じゅうたんなどを染める色には美意識の考え以外にいろんな理由があります。ひとつは現代まで特別のいろの製作費は貧乏人にとって買えないほど高くて、ほとんど地味ないろしか使いませんでした。一般的に原色の意味を考えてまったく関係のないものが繋がり、例えば赤には恋、革命、悪魔を思い浮かべます。話した点は、今の社会では服のいろはどんなの役割を果たすのかでした。私は、いろの印象的扱いではなくて、差別がもっとも重要になったと思います。いまの時代の標語は個人主義で、きている服のいろ合わせで「わたしは人と違っている」ような承認を求めます。毎年代わってゆくファッションの流行のいろはほかのいろを劣等なものに見せるのでしょうか?いろの流行の立場がとてもかわりやすい場合には原色いろが将来色#1、色#2、色#3などになる可能性があるでしょうか?(ダニエル)

私達の生活では色やその選択は色々な場面で現れます。服を着るときを始め、部屋の色を決めるとき、目色の印象、そして自然の緑もそのいい例です。しかしこの数え切れない色の選択は意識して何か具体的な結果を得るためであるかと聞くとどうでしょうか。例えば服を着るときは必ず自分の気分に与える効果と他人の印象を目当てにして色を選ぶでしょう。あるいはヤーノシュさんが指摘したように、幼稚園や子供を宿る施設の場合は壁が特別な文様で、ある背の高さまで緑で、それからは白になるのが普通だと分かりました。なぜかというと、ちゃんとは理解できませんが皆が推測したのは緑が若くて、背の低い子供達に自然の印象を与えて心を慰める効果が出るのがありえるでしょう。でも白はなぜ必要かというと、自然の印象を考えて、緑の上に広がる空は雲が一杯あるので白く見えるでしょう。こういう考え方は色の選択によって子共たちの心に自由で、広い場所の気持ちを与えるのが目的かもしれません。しかし色に関する印象や色の象徴は人によって違う傾向だと思います。例えばこのテーマについて話しながら女性は男性より色の意味を深く考える傾向が分かりました。それに個々の色に対しての個人的な印象や象徴的な意味も個人差がありました。結論として言えるのは色に象徴的な意味があるということです。しかしその意味は普遍的か、限られた集団にしか当てはまらないかについてはまだ調べるべきだと考えます。この結論はジョウフィさんの研究に役に立つように希望します。(レベンテ)

色の意味や色が持つ力には国によって違いがあることが珍しくない。次に上げるのは一般の意味である。赤は血と火の色で、危険と愛・好色と戦争の意味を持っている。赤で書いたテキストや絵がよく見える。そのうえ血圧を上げる効果もあって、人がもっと早い決定を下すことができるようになる。その為、道路標識の色も赤になった。黄色は日光の色で、喜びと幸福の意味を持っている。黄色は見やすいので人の注意を簡単に引くことができる。黄色は暖かい色だが、濃い黄色は衰退、病気と孤独の意味である。緑は自然の色で、進化、調和と豊穣の意味を持っている。これは眼に最も楽な色で、病院や学校でよく使われる。緑色をある人が未熟だと言いたい時にも使う。これは日本語の「貴方はまだ青い」と同じである。緑は赤の反対であって、「OOをやっていい」という意味を持っている。青は空と海の色で、希望、忠誠、知識、信頼、名誉、と正義の意味を持っている。青は男の色と呼ばれている。白は純潔、清純、優しさ、質素、安全性とバージニティーの意味を持っている。病院で無菌法の意味を持つ。白は新しいことの始まりを示して、例えば結婚の時お嫁さんも白い服を着る。黒は死、病気、悪と優美さの意味を持っている。たいていはネガティブな感情を表すが、黒は優美な色でもある。(エメシェ)
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