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英雄の記事一覧: 対話の世界

対話の世界

カーロリ大学日本学科の議論の授業用ブログ

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英雄とは誰か

英雄になれる方法がいくつかがあります。英雄というのはだれもできない状況で優れたなにかをできた人です。昔の英雄と呼ばれた人は兵士だったけれども、1945年で戦争が栄光だと思われている時代が終わったと思います。英雄と呼ばれる資格も変わって、ひとの命を救う医者や消防士が模範になりました。更に自然災害に遭ったひとたちを助ける兵士もそうです。殺した人間のかずから人間を救うがずが大切になりました。マスメディアが放送するプログラムの巨大な影響によっても英雄の意味が変わってきました。英雄になる性格はだれにでもあります。どんな場面で出てくるかに違いがあり、一つ目は上で述べたの任務からの勇気、じぶんでは英雄と思わない、ただ仕事しているひとです。二つ目は恐怖から生まれる勇気で、命や大切なものを失うのがやだとおもって行動するひとです。たとえば飛行機の乗っ取りでテロリストを攻撃するひともあるんです。最後に私たちが知っている英雄はみんなだれかに見られて、認めて、教えたからです。だけどだれでも知らない英雄が昔も今もいるはずです。(ダニエル)

英雄とは何だろうか。どんな人物が英雄になれるのだろうか。なぜ私達は英雄を大切にして、尊敬するのだろうか。それとも、なぜ私達は英雄というものを必要とするのだろうか。難しい質問に違いない。英雄は一般人と異なって、特別な人物である。特別と言っても、それは王子様であることやお金持ちであることや大先生であることというわけではない。特別さはやはり心や性格の特別さである。頑張れば誰でもいい人やいい兵士になれるだが、英雄には限られた人々しかなれない。しかし、それは定めなどには関係なく、自分の性格だけに関係あることだろう。英雄であることは必ずしも幸せなことには限らないが、真の英雄は何があっても英雄の性格を失わず行動する。それは、いかにも尊敬すべきこと。私達人間は優れた人物になりたくて、でもなれなくて、だから本当に優れた人物の英雄を自分がなれないものとして大切にするではないだろうか。英雄は私達自身がなりたい者であり、自分でもしたいことをするからこそ英雄はこんなに必要なのだろう。(クリスティナ)

最近、私が注目した二つの映画の二人の英雄を紹介したい。一方は『レッドクリフ』という中国の映画で現れる、甘寧という歴史的な武将に基づいた人物の甘興で、一方は『センチュリオン』というイギリス映画で登場する虚構のクインチュス(Quintus)という人物である。つまり、現在のアジア的な英雄と現在のヨーロッパ的な英雄の比較の試みをしてみる。甘興は日本の代表的な英雄の原田重吉にもよく似ている。彼は誰も開けられないといわれた門に生死をかけて近づき敵の門を一人で開ける人物である。甘興は決死隊の勇士ではなく、勇気の軍隊を指導する武将である。自分の勇士に対しての深い関心が十分に描写されるが、甘興自身の能力や道徳的な値は勇士よりかなり高い。怪我した仲間を自分の体を盾にして矢から守った後まだ最後の攻撃に足りる力まで残っておる。自分の命を捨てて、門を破壊するに十分な爆弾を投げ、自分も戦争の生贄として死んでしまう。『センチュリオン』の主人公のクインチュスは映画の終わりまで生き残るが、彼が責任を持った団体の全員が死んでしまう。この人物は軍隊の戦敗にあって、生き残った兵士の隊長になるが、もともとは彼と兵士の位置がほぼ同じであった。運命に受けられた責任を背負って仲間を守ろうとする行動を通して彼の兵士に対しての関心も十分に描写される。しかし、クインチュスがいくら努力しても、力が足りず仲間がみな死んでしまう。責任の観点から見ると失敗しても映画に英雄として見なされる。彼は、活動の結果にかかわらず、活動の質のみ評価されるようである。ヨーロッパの歴史と伝統の中の英雄を思い回すと、中国の甘興のような例しか浮かんでこない。英雄は責任を取り、自分の命を駆けて目的を遂げる者として想像される。それでも、クインチュスの描写を見た時あまり驚かず、真新しい考え方を感じなかった。この人物は、西洋の現在変わりつつ英雄イメージの一つの例であろうかと私は考えた。(ヤーノシュ)

どんな性格を持っている人が英雄になれるかというと、中々難しい質問です。時代に応じて歴史的な状態と事情がいつも変わっていますが、英雄になるために必要な性格は多分同じだと思います。いつの話にしても、英雄の性格はだいたい一緒だと思うのに、その性格の本質を中々言葉で表現しにくいです。自分の時代の政治的な状態をよくわかってて、とても頭がいい人ではないと、英雄になれないと思います。そして英雄の性格の中で一番大事なのがいいチャンスを上手に掴むことです。チャンスをどうやってうまく掴んで、どうやってうまく使用できるのかをしっかりわかっている人ではないと、どのぐらい頭がよくても英雄になれません。(シャーラ)

エメシェさんのテーマは日本の英雄でした。たくさんの面白い人の話を聞きました。しかしグループで私たちは「コレは英雄なのかな?」と思いました。この人は中国人と戦って死んでしまったので私たちの考える英雄とは少し違います。例えば私にとって英雄は自分の国のために死ぬ人です。でもこれは足りないと思います。英雄は人生の中たくさんの大きなこともします。たとえば他人を手伝ったり、新しい薬を作り出したり、何か大きなことをしたりします。英雄は多分他の人にとってはあまり大した人ではないが、でもある人には必要な人です。例えば私にとって自分のお母さんは英雄です。あと、英雄の中にたくさん種類もあると思います。例えば人生の英雄もいるでしょう。この人はたぶん世界では有名になれないけれど、この人の友達と家族がその人を英雄と呼びます。英雄たちの一番大事な点は勇気です。そしてその「人生の英雄」は自分の勇気のおかげで大きなことを出来ます。だからどんな英雄について話すときも勇気は一番重要なキーワードになると思います。(ジュジャンナ)


典型的な英雄とはどんな人でしょうか。どんな性格をしているのだろうか。時代によって多少変わる英雄の姿の中で、どの点が永遠に残っている理想として生き続けていくのか。それは決して利己的と弱気というものではないだろう。まず、いずれにしても自分の国とその国の人を守ろうという意気を持っている人は英雄と呼ばれると思う。しかも強い心を持って、自分の感情と意志を考えずに、ずっと苦しんでいる他人を助けようと努力している姿が英雄の姿に値すると言える。その上、弱くて貧乏暮らしをしている人の面倒を看ても、代わりに何も受け取らないという性格を持つ人を英雄として私は想像する。しかし、そういう罪のない人が実際に存在する可能性があるのだろうか。ちょっと考えてみれば、今でも世界のどこかで戦争で戦っている軍人はよく英雄と呼ばれている。もちろん、彼らはある見地から見ると自分の国を守る英雄と見られている。しかし、その軍人は本当に英雄なのだろうか。自国の人や自分の信じている主義を守るために他国の人を残酷に殺すのは英雄的行為ではないだろう。それで、私が思うに上記にも述べたような勇ましくて英雄的な人がもちろんいるに違いないが、本当の英雄というものは、ユートピアにしか存在しないのではないかという気がする。(ソフィー)

英雄になるためにどんな特徴が必要ですか。実は私は戦に反対しますから、戦争で死んだ人は本当に英雄かどうかよく分かりません。戦争に行く人のほとんどは本当に行きたくないんだと思います。そして戦争に死んだ人のほとんどは英雄にならないんです。英雄はたぶん、一人で何か広大なものをする人だと思います。これをしないと他の人が死んでしまったり、これをやらないと敵がたおせないなどの理由が一番おおいだんだと思います。英雄はたぶん、自分の命にかけても他人のために、自分の国のために動かす人たちだから、普通には人が英雄になれないんです。そんな勇敢なことをする人は死なないでも英雄だと思います。私の意見では本当のヒーローはかっとうや問題があっても暴力に訴えない人です。これはまだムリそうですが、せんそうは存在しない世界で、たぶん、英雄がない事も大丈夫だと思います。(エステル)

英雄と言えば色んなタイプあるが、まず「英雄」というと最初に頭に浮かんでくるのが中世の騎士だ。勇気だといえば、命をかける。命をかけると言えば戦争。近代戦争にも勇気いっぱいで戦った兵士がいたんだけど、伝説になったのはやっぱり直撃で死んだか、ほとんど死んだ兵士だ。例えば大日本帝国の時代は「肉弾三勇士」という伝説があって、それは3人の兵士が大きい爆弾を敵の戦線に直接に持って行って、その爆弾を自分の身体と一緒に爆発したという話である。彼らの記念に歌が作られて、像が立てられて、肉弾お土産とか名物とかが売られた。つまりその時代の英雄となったのだ。モダン時代の英雄はいわゆるヒーローは昔のと違うんだ。現代のスーパーヒーローとかはあまり負けてない。英雄というより超人みたいな感じがする。何だか人間は神様みたいな存在、人間の能力を超える人間(超人)に惹かれるようです。死にたくなくて、負けたくなくて、それは現代の人たちにとって究極な夢だ。でもいつも勝てるスーパーヒーローは英雄じゃないと思う。室町時代の侍とかは現代のと違った。かっこつけるためにわざと自殺したりして、ある意味すごかった。その時代は英雄になるのが究極な夢だったかもしれない。しかし腹切りしても、英雄になったわけじゃなかった。英雄になるのはそんなに簡単なことではない。もしかすると英雄になってしまう方が簡単。とりあえず私の意見では英雄と呼ばれる者は根性がある者。他の人のために(1人、100人、全世界)何も関わらずやるだけやるという風に行動していて、それでピンチのときでも成功する者が英雄になれる。命をかけるというのがオーソドックスの方法だけど、死ななくても英雄になれる。とにかく人に英雄に思われたら英雄です。自分で決められることではない。(ジュラ)

英雄として扱われる人物はどの国にもいると思うが、英雄にどのようなことが要求されるかは必ずしも同じではない。戦争で亡くなった人を英雄と呼ぶことがよくあるが、私の意見では、ただ死ぬことでは英雄になれないであろう。英雄は抜群で優れている人でなければならないから、英雄の特徴は普通の人なら期待できないことを果すということである。たとえば、自分のことだけ考えれば死を免れることができるのに、他の人や国のために自分の命を危険にさらす人がそうである。ポイントの一つは、必ず何かいい目的が必要だ。そのほかに、その人はそうされていたわけではなく、自らの意志でこの道を選んだということも大切であろう。このような人こそ英雄だと思う。(エリカ)
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