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「理想の語学試験とはどのようなものでしょうか」の詳細記事: 対話の世界

対話の世界

カーロリ大学日本学科の議論の授業用ブログ

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理想の語学試験とはどのようなものでしょうか

改まった形の日本語能力試験が近づくこの時期の興味深い質問の一つは「理想の能力試験はどんな感じだろうか」という質問かもしれない。先生の立場から見ると理想の試験はやはり簡単に直せるもので、受験生の立場から見ると簡単に受けるものだろう。しかし、実力が分かるために最も役に立つ試験はどうだろうか。改まった形でも現在の日本語能力試験は大変受動的に違いない。文字や文法の知識、読解力・聴解力を分かるためにとてもいい制度だが、もっと能動的にした方がいいという意見も最近増えてきているそうである。新しいアイデアは幅広くて、能動的な部分として作文や口答試験がその例である。ハンガリー人としてもう一つの能力試験に関する問題を述べるべき。それは、現在の制度の証書はハンガリーでは認められていないということである。大学の入学にも卒業にも就職にも使えなくて、自分の能力の挑戦の意味しか持たない。けれども、人生の中で挑戦が必要ということも事実だろう。(クリスティナ)

もともとの話題を避けて、少しつながるところについて書きたいと思う。なぜなら、理想的な試験は存在しないからである。ハイゼンベルクの顕微鏡のように、人間が行なった試験が本当の知識程度を量れず、達成度しか量れない。従って、「試験」と「理想」という概念は別の世界に付属することである。それより、知識程度を量る必要がなければよかったであろう。知的社会主義が得られれば、理想的な状態が得られると私は考える。アシモフの『ファウンデーションと地球』に紹介されたソラリアはそういう世界である。その惑星に生きている人間は、頭脳に有機的機械が入っている。この機械はもともとエネルギーを操作する機能があると書いてあるが、記憶部にもなる可能性があると私は思う。この 理想郷には現在の社会階層が無くなり、人々は完全な平等で存在する。試験とは人の位置を定めることなので、この状況で不必要になる。しかし、理想郷なので、こんな状態は目指せるが、手に入れることができない。不完全の世界を不完全の手段で守り、更正していくしかないようである。(ヤーノシュ)

私は今まで日本語と英語の能力試験しか受けたことないので、能力試験に関しての経験は少ないと思いますが、よくわかったことは能力を色々な方法でチェックした方が両側にとって一番いいということです。例えば、会話の能力、作文、語彙、読解、文法、(日本と中国の場合はもちろん漢字も)の問題は多ければ多いほどいいと思います。この面で日本語の能力試験は少し良くないと思います。日本語の能力試験に口頭試験が入ってないからかどうかわかりませんが、日本語の教育の短所は必ず会話だと思います。能力試験の1級を合格できる人の中には日本の方とは話す勇気がない人が沢山いると思います。日本語の能力試験に会話もあれば、日本語を外国語として勉強している人達の口頭能力のレベルも上がるかもしれません。試験の時に受験者はとても緊張しているので、試験管はどんな人なのかとても大事だと思います。嫌な人だと、受験者が緊張してて、実際の能力を見せられないのが当たり前なんですが、口頭試験の際は話している相手からいい影響を受け取る可能性もよくあると思います。よく知っているのに、試験の時は間違ってしまう基本的な文法とか言葉などよくありますが、試験の雰囲気はできるだけ試験みたいではなくて、例えば口頭試験の場合はただの会話みたいな雰囲気にしてもらうと、受験者がとても助かると思います。(シャーラ)

私は学生なので簡単な試験が一番よいと言います。もちろんコレはダメですね。今のJLPTはいいと思います。作文と口頭試問はありませんが文法と、聴解と、読解があります。日本語に対してコレは一番大事だと思います。でも多分作文はいいアイディアになります。だって、文法と語彙を人は作文でもっと簡単に使うことが出来ると思うからです。もちろん作文の場合、もっと考えるのは重要ですそして少し難しいかもしれません。でも言語は言葉と文法と漢字のみではないと思うので語の感じも分かることが必要です。ほかの人にとって口頭試問は重要と言います。でも多分他のレベルで。私の意見では口頭試問は二級と一級のレベルのときは多分よいです。テストは多分もっと簡単になれるかもしれません。たくさんの人は書くテストのほうがスピーチより上手です。ハンガリーで日本語を話す練習はたくさんの人は出来ないです。日本人を知っている友だちはいないから、それで日本のテープや本で勉強するしかありません。でも、もちろん、インターネットを使えばたくさんの勉強にとって便利なことが見つかると思います。(ジュジャンナ)

現代人は若い頃から一生の間に何度も試験を受けないといけない。入学試験、中間試験、卒業試験、運転免許の試験、また人によって例えば医師試験、弁護士試験、いろいろ専門職業の試験などで自分の知識と能力を証明する必要が出てくる。そういう精神的につらい時はしょうがなくて、時には試験を直視して受験するしかない。まして外国語試験も最近進学の希望を持っている人にとって受けるべきものとなった。しかし、外国語試験はいろいろな種類と方法がある。基本的に殆どの試験は筆記試験と口述試験に分かれているが、試験のあり方は試験によって多少違う。日本語能力試験のような筆記試験のみのテストは私の知っている限りではハンガリー国内の試験に照らし合わせると珍しいあり方だと思う。話があまり上手ではない受験者にとって口述試験のない日本語能力試験は他の試験よりある程度合格しやすいかもしれないが、平等を大切にするとそのあり方は一番理想だと思う。それで、世界のどこでも受験者が同じように扱われている。えこひいきの問題がないし、皆さんの能力を現実的に測定することができる。(ソフィー)

先週の授業で日本学科の皆様も関心を持っているはずのテーマについて対話を行った。言語能力がどのように計れるかは決して簡単な問題ではない。私の意見では今の日本語能力試験は受験者の実力が反映できない。なぜなら、聴解や読解の問題しかないので、いわゆる消極的な能力だけが使われるからである。一方、話したり書く必要は全くないので、漢字を一つも書けない人も、一言も言えない人も合格する可能性がある。そのうえ、ラッキーであれば、正解が分からなくても合格できるであろう。それに対してハンガリーの言語能力試験には翻訳や作文も含まれているし、口頭試験も含まれているので、受験者の実際の能力が更によく分かると思う。ただ、点数の付け方や試験管の公平さが問題になるであろう。なぜかというと、翻訳の正しさや受験者の発音などを主観的に判断することはむずかしいからである。そのため、理想的な方法は何か分からないが、受験者の能力を様々な側面から計ってみる試験が必要だと思う。(エリカ)

現在の日本語能力試験のことですが、基本的には詰め込み勉強でいける形ですね。合格希望者は適量の時間を詰め込み勉強で過ごしたら、だれでも合格できる試験です。レベルを上げるために300時間くらい日本語の勉強が必要とされています。日本にいても、行ったことなくても、大体同じ努力で合格が得られます。それは一方平等な感じをするが、一方現在の能力試験では「アクティブな能力」は必要とされてないのがそんなにいいことではないと思います。作文を書く事、喋る事などができなくても、合格は可能ですから。自分で文章一つも書けず、文字も一個も書けず、日本語ができるという資格がもらえるのがいいことだろうか。「能力」と名付けた試験だが、能力なんか全く関係ないじゃないですか。「努力試験」と呼んだ方が適当だろう。私にとって理想の試験では、「何ができない」というより、「何ができる」というのが審査する法が望ましい。いわゆる本当の能力試験。喋るのが上手、書くのが上手、コミュニケーションが上手い、パッシーヴな知識が深いなど、いろんなタイプの人がいる。個々に能力が異なってるから、皆から同じ能力を求めるのが古めかしい考え方です。個人的には、アートが好きだから、個性を出せる試験の方が喜ばしい。それでも日本語能力試験はどんな形がいいか、それは日本人が定めた方がいいと思います。日本の社会に受け入られる者はこの社会の「標準知識」を習得しないといけない。それは日本語を勉強してる人を標準化するためです。日本の社会は「標準」というのを大事にする社会だから、いまの能力試験はいまの日本においては適当かもしれない。(やはりアクティヴな能力は望ましくない 笑)それに対して、私が想像している試験の訂正法は個人によって異なってるから、複雑というよりは手間がかかりそうな制度です。あまり便利ではないかもしれないが、人間性を中心にしてて、生徒の能力を充実させるシステムです。(ジュラ)

JLPTは五つのレベルに分けている日本語の能力試験である。たくさんの他の能力試験と比べて口頭試験と作文がない。JLPTが五つのレベルに分けてきたのは今年からである。知り合いによるとこれはいいことだと聞いた。なぜなら今まで三級と二級とのレベルの違いが大きすぎると思ったからだ。少し考えた後私も知り合いが正しいかもしれないと思い始めた。三級と二級の間に新しいレベルを作るのはやはりいいイデアだと思う。この能力試験では四つの答えの中から一つの正しいものを選ぶことだけだから、書くことは必要ではない。私に関する限り、このシステムは、得に口頭と作文がない部分が結構好きだ。それは私は書くとき本当に遅くて、話すときは緊張しすぎるからである。それにしても書くや話す部分がないと手当たり次第に答えを選ぶことによっても合格できる。けれどそれで何を果たせるのだろうか。確かにある場面では外国語を話せることを示す種類が必要だけど、職場とかの面接に行くとき例えこれがあっても、言語を話せない場合は合格できない。こうして私は今このような試験を名前どおりただ自分の能力を計るための試験として見て、大きいな変化が必要ないと思う。(エメシェ)

言語証明書を取る方法の一つは日本語能力試験です。能力試験の一番いいポイントは国際的であるという事です。世界中で皆が同じ試験を受け取るのは本当にいいことだと思います。内容や等を分けるも同じですから、証明書を取る人の知識がある程度に同じです。レベルにとって違いがありますが、この違いが世界中で同じだから、誰かが「私は日本語能力試験のN2レベルに合格しました」というとき、この試験を知っている人があの人の日本語能力がすぐに知っていると思います。日本語能力試験の弱点は「話し」と「作文」の分野がないことです。これ二つはどんな能力試験の一番難しいい部分ですけど、どんなに聴解や読解が出来きても、日本語でうまく話しことが出来ない、上手で書けない人は日本語を本当に使わないと思います。私にとっての理想的な試験はこの二つも含みます。これでもっと難しくなると思いますが、言語を習う時一番大切なことはその語をもっともっと知りたい気持ちが持つ心です。たとえ、数学、科学などに有能な人もある言語に興味があれば、その言語を勉強することが出来ると思います。理想的な試験はこの勉強の鼓舞になれると思います。(エステル)

理想の語学試験というのは、言語の全ての能力を同じく試すべきものだと思う。自分で作文を書くこと、自分であるテーマについて自分の言葉で話すこと、文章や聞いた話を理解すること、漢字を読むことなどは同じように重要であると思う。日本語能力試験の短所は自分で話す問題もないし、作文も書かなくても良いということだ。それにいつも四つから一つ選ぶ問題ばかりなので、もし運がよければ合格できるかもしれない(もちろんその可能性は非常に低い)。なので能力試験よりヴァロシュマヨリ高校の日本語の試験(エーレッチェーギ)の方が良かったと思う。なぜなら上に述べたよう全部の能力を試したからだ。作文も出したし、スピーチもあったので、日本語ができない人は絶対合格できなかった。でももし能力試験でも作文とスピーチがあるようになったら、きっと結果を知るまでは、時間がもっとかかるはずだ。そして日本語はヨーロッパで(例えば英語に比べると)少し珍しくて、日本人の先生もそんなにいないから一人ずつスピーチをやるのは無理かもしれない。(アルネ)

先週の対話テーマは私達大学生が今まで体験してきた様々な試験制度を考慮して発想できる理想の試験はどういうものかということでした。発表者は中国学科が専門だったダニさんで、卒業論文のなかっでも中国の試験制度、あるいは日本の試験制度を取り上げた方です。特に注目に値する点は日本能力試験の口頭部分がない特徴でした。相手のヤーノシュさんがすぐ言い出した興味深い意見は試験たるものはない方がいいというものでした。やはり試験という場面は緊張が多すぎて、冷静に振舞ったり、考えたりするのが非常に難しいです。こうした状態で人の七期や能力などは本当に客観的に計れるのだろうかということも疑問になるでしょう。ヤーノシュさんのいうことを聞いて、こういう場面が苦手な人もいるに違いないことがわかりました。彼にとって、はやはり試験の状況、その実行の選択、工夫が大事になっているでしょう。試験が怖くて、いやで、どきどきして倒れそうな人達を助けるためにはどういうことができるか、少し見てみます。すぐに眼に浮ぶのは先生や試験を行う人の態度です。細かいことですが、先生の笑顔や優しくて好奇心がある態度などによって試験が苦手な人でも少し落ち着くでしょう。試験官の先生は学生が話しているは間無口でも話を聞いたあとは相槌ぐらいはしてあげましょう。無口のまま「

私にはあなたの言っている言葉は関係なくてあなたの言語能力だけを判断しているのだ」という雰囲気を立てるより少しだけ先生も意見や立場を言葉にして、相手をしてあげるような形になったら両方も嬉しいでしょう。上記に見える面白いことはヤーノシュさんの気持ちを暖めるための努力を述べていこうとしながら、口答試験の場面でしか出来ないアイデアを書いてしまいました。つまり口答試験は言語能力のの実質、言葉のやり取りを計れる方法であること意外に試験の場面を改善するためにも不可欠なことです。平気ですよ、ヤーノシュさん。この作文を世界中の先生方がよんでくれて、もうすぐ試験改革が続くと希望します。これから少しだけ我慢してください。(レベンテ)

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