「女性の言葉遣いについて」の詳細記事: 対話の世界
カーロリ大学日本学科の議論の授業用ブログ
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女性の言葉遣いについて
女の子は今まで男性しか使わない言葉を使い始めているという話題は特に今の若い世代、10代と20代の若い女性の場合は深刻な問題になっているが、その主な理由としては、男女平等と近代社会における性役割の変遷があると言われている。しかし最近、一番影響を与えているのはメディアだと思われている。確かに、毎日いろんなチャンネルで放送されているアメリカと西ヨーロッパ製の映画やシリーズ、またそれを基にして作られたハンガリー製の番組はある程度若者に悪影響を与えるに違いない。10代の若い人はまだ完全に成長した人格を持ってないため、テレビをみたら洗脳されるようになることは精神医学者によると大変大きな問題となっている。そしてそのメディアは人の話し方にも大きな影響を及ぼしている。では、メディアをコントロールできない一般の私たちは何をすればいいのか。まず一番責任を持っているのは親だと思う。子供をちゃんと躾けて、子供が成長した人になるまでに育てないといけない義務があるだろう。なぜなら育ちが良い人は何の悪影響が起こっていても自分の行儀、また話し方に悪い影響が与えられないからだ。(ソフィー)
日本語の特徴の一つは女性と男性が使う言語の違いである。女性は男より更に丁寧に話さなければならないだけではなく、女性が使ってははいけないことばも数多くある。ハンガリーといえば、それほどおおきな違いはないと思うが、女性が悪口を言ったり大きい声で喧嘩をしたりするのはどこでも女らしくないと思われるのではないであろうか。女性は優しく温和だと期待されるからであろう。そうではあるが、今は特に若い女性の間でも悪口が非常に流行っているようである。最近映画などで強い女性のキャラクターがよく出てくるし、マスコミで悪口が使われるのも珍しくないので、テレビの影響もあり、悪口や強い言葉遣いがかっこよくおもわれているのかもしれない。(エリカ)
ハンガリーでは男性と女性の会話のスタイルはあまり違ってないと思う。言葉的な違いはないと思うけど、やっぱり女性には使わない方がいい言葉がある。悪口雑言を使うのは男性にも悪いことだけど、女性がこんな言葉を使ってはいけない。たぶん女性はテレビを見て、これは流行していると思うかもしれない。ハンガリーでは昔から人が女性はきれいな存在とだと思ったからきれいな話し方が似合うのだろう。そしてこのテーマに話したとき男性達は「最近女性が使うあまったるい話し方は男性は絶対使わない。じょうだんでも使わない。」と言った。もう一つの違いは心理的な違いだ。シャーリの言ったとおり、日本では男性は情報中心、女性は心理的なつながりが中心だ。これはハンガリーでもそうだと思う。でも、やっぱり違いはこれだけだと思う。このテーマが私はあまり知らないから、ネットで探してみたが、これについての記事があまり見つからなかった。一つの記事には「性差別の語学的な研究はハンガリーではまだ新しいことだ。」と書いてあり、性別に敏感な言葉もあるしそうでない言葉もあると書いてあった。ハンガリー語は性別に敏感がない言葉だ。だから男性と女性の会話に違いはあまりないんだと思う。(エステル)
日本語のような「女性言葉」はハンガリー語でも存在しているのだろうかと最近同級生に聞かれた。日本語の場合、男性の言葉と女性の言葉ははっきり区別できるがん、男性と女性の違いは精神的なものであると考えると他の言語でもそのような違いがあるに違いないだろう。日本語では言葉遣いをはじめ、感動詞や人代名詞などを基準として、例え小説であってもその文を言ったのは男性か女性か一目で分かる。ハンガリー語の場合は小説で読んだだけで必ずしもすぐ男女を区別できるわけではないが、分かる場合も確かにある。たとえ「女性言葉」と呼ばれていなくても、「女性らしい言い方」が存在しているだろう。小さい子供をはじめ、女の子は両親に言われている文句の一つは「何その言い方、女の子のくせに?」や「女の子らしくしゃべりなさい!」などである。ハンガリー語では「女性言葉」は文法的に定められていなくても、規則を使って描かれなくても、人々の意識には間違いなく存在しているようである。(クリスティナ)
そうですね。シャーリさんのテーマは女と男の会話のスタイルの違いでした。日本でたくさんのスピーチのパターンがあります。ハンガリーで男女の会話のスタイルで違いについては難しい問題だと思います。一目見てあまり大きな相違はないと思います。女性と男性は多分同じ言葉を使いますし。でも女性は最近キュートな言葉も使います。例えばハンガリーの女性は何が可愛い場合は「Cuki」といいます。この言葉は男性があまり使いません、「いい」とか「Ok」と言います。でも最近は男性だけじゃなくて女性も悪態をつきますし、悪態をつくときとき男性と同じように女性も悪い言葉を言います。多分メディアのせいでみんなのスピーチパターンが近いもにになります。特に女性が男っぽく話すことが目立ちます。最近の女子はもっと強いアピールを見せたいからカッコいい言葉を使います。でもこのかっこいい言葉は実は汚い言葉ですから、結果は「強さ」ではなくて「乱暴」のイメージがつきます。でも女性たちはこれは気付いていない。日本ほどではありませんが、ハンガリーでも女性と男性の会話は多分スタイルが少し違います。そしてテーマも大きく異なります。たとえば女性たちはお互いに話すときはもっと女らしいテーマについて話します、化粧とか、男性とか、服とかについてです。そして男性もお互いに男性が気になるテーマについて話します。(ジュジャンナ)
日本と違って、ハンガリーでは特に男性が使ってる言葉と女性が使っている言葉は分けてないと思うが、やっぱり男性と女性の話し方はちょっと違うといえる。例えば、男の人のほうがきたない言葉を使っている。きたない言葉は男性がよく日常会話で使っていて、女性はこんなのはほとんど使わないと思う。もし同じきたない言葉が女性によって使われたら、男性よりもっと乱暴な気がする。時々男の人は自分できたない言葉を使っているが、もし誰かの女の人が同じ言葉を使うと気になる。一方女性が時々言葉を短くして、かわいい言い方に変えることがある。特に若い女性がそんなのをよく使っている。例えば「可愛い」の「aranyos」の言葉を「edi」それとも「cuki」にする。男性が「cuki」を使ったら、少し変な気がして、全然男らしくない。そして女性は男性に比べれば、強い意見はあまり言わないで、男性の方が直接意見や評価を言う。でもそれがあっても、まだハンガリー語は言葉遣いのことで日本語に比べれば、そんなに違いはないと思う。(アルネ)
なぜ男はそんな言い方をし 、なぜ女はあんな話し方をするのか。男女の会話スタイルとは、様々な違いがある。精神的にも、それから言語学的にも違っている部分について少し考えてみよう。日本であれ、ハンガリーであれ、会話の男女差を皆きっと経験したことがある。日本だと、最近、男性の話しスタイルがわってきている。若い男性の考え方も、ミタメもなんだか女っぽくなってきたり、普段女性に使われている語尾の助詞も男性に多く使われたりして、話し方さえも益々女っぽく感じられているのではないかと思う。傾向が出始めたきっかけは何だろう。マスメディアの影響が強いと考えてもよい。ハンガリーの場合は、日本のような傾向はまだ出始めないと思うが、女の子だけ使われているかわいい言葉がたくさんあるらしい。面白いことは、それが男性に使われたら、きっとゲイと見なされてしまうことだ。日本人の男性が女性の語尾助詞を使おうとしても、別にそこまでは見なされないと思うので、日本はそこまで厳しくないと思う。ハンガリー人の性別役割意識が現在の若い日本人より強いので、話し方もきちんとハッキリにしているのではないか。とはいえ、以上のことは国によって違うので、パターンなどはないと思っている。(マリアン)
ハンガリー語では男女の会話のスタイルに違いがほとんどない。男女は別の物に興味がある為一番大きい違いはたぶん話しのテーマだと思う。男はスポーツ、機械や女についてよく話すにに対し女はファッションや家族についてよく話す。その上女は長く自分の感情について話すが、おとこはもっと議論的に話す。次はちょっと言葉遣いについて話したいと思う。女として気付くことは女のほうが汚い言葉を使うことが少ないということだ。汚い言葉を使うと男より女のほうが不自然に見える。女の子は母に「女の子はそんなはしたない言葉を使ってはいけないでしょう。」と叱れることが多いし、おそらく社会も女はきれい言葉を使うべきだと思っているだろう。女が「ari=aranyos」(かわいい)とか「ubisali=uborka salata」(キュウリサラダ)のような可愛らしい言葉を使うのは男より多い。その他、女が間接的言葉、つまり「と思う」とか「ってどう」とか使うことも多い。(エメシェ)
確かに最近の女性の口が汚くなった。男の言葉を使ってるけど、それはなぜだろうか。男女平等の思想の普及が原因とされているけど、男と女が平等じゃなくて、同じになったとは考えられないか。ハンガリー語は女の子しか使わない可愛らしい言葉の他には、男女言葉で異なってるところは少ないようだ。日本でも男と女が話す言葉が近くなっているようだが、私がびっくりしたのが最近の日本人の男性(いわゆる草食系男性)が「美味しいわ」とか「かわいいもん」とかを言うようになったということだ。それで本当にいいのかと思ってしまう。本当は言葉が変わってるよりも社会が変わってるというのが正しいのかもしれない。「美味しいわ」を言う男は言葉遣いだけじゃなくて、態度も女らしいと気づいた。もしもハンガリーが昔の日本と同じように男と女が不平等だったら、ハンガリー語も男女の言葉遣いが大いに異なってるはずだ。ただ、個人的には私は男と女の言葉遣いで差があった方がいいのではないかと思う。ハンガリーはこれ以上男女が平等化したらもしかしたらオカマの人が増えてしまうかもしれない。(ジュラ)
今週の最初の対話はハンガリーで男性と女性が言葉を使い分けるかどうかということについてでした。シャーラさんは日本語の敬語を研究しているときに、こういう面白いテーマを知ったそうで、私が今まで深く考えたことがないハンガリー語の特徴について考えることが出来ました。現代のハンガリー語でも男性と女性の言葉を見るとやはりお互いの言葉が近づいている傾向が見えます。この点でハンガリー語と日本語が同じようです。しかし普遍的にこうした結論ができても具体的な場面を見ると男性と女性言葉の使い分けは欠かせないと分かりました。女性同士なら男性の私でさえ驚くほどの男っぽい話し方を使うことがよくあります。全く女性らしくないと思ってしまうようなこともあります。しかし男性が女性と接する際にはこれとは根本的に違う印象を残します。例えば男性に対して社会的な地位を占めなければいけない場合は女性が上品で親切ななハンガリー語を使うことが多いです。例えばクラスの中の同級生や友達の女の子はよくこういう言葉使いをします。こうした言葉の使い分けで自分が女性だと強調することが出来ます。ではその逆はどうでしょう。自分が男性に対してそれと同じ地位を占めるというメッセージを伝えたい場合は女性が男性言葉を使うことがあるのでしょうか。よくあります。例えば打ち合わせの場合に、女性は、脆くて、優しい存在ではなく、強くて、巻けず嫌い性格を示したいという女性をよく見かけます。こういう女性と話しながら頭に浮かぶのはやはり油断せず話しの内容に集中したり、それに対して自分の立場を守ったりするのが普通で、相手の性別は気にしないようにします。また、ハンガリーでも、男女言葉の使い分けが現代でも残っているという点で私たちの意見は一致しました。しかしこの言葉使いの特徴はその場面的な意味があります。場面によって、男女言葉は色々な役割を果たします。男女言葉を使いこなせば自分がどの印象を与えるかがわかってきます。この話題レポートをまとめることで、シャーラさんの役に立つことができたように祈っています。シャーラさん今後も面白いテーマを頑張ってください!(レベンテ)
確かに男女の役割が社会の厳格な規則によって定められる。歴史を見ると、英雄の男性に伴う繊細の女性を描いた絵が多数ある。私はさっき見た「レッドクリフ」という映画の一つの場面で、英雄の主人公が、婦人が「孫子」を引用するときにほんの少しの怒りが入った反応を思い出す。彼女はなんで戦争に関することに触れられてしまったのかと考えたはずである。婦人は、茶道の天才で将来「平安」という子供を生む人物として平和と文化の象徴であった。夫は、この平和を得る、この文化を守るため努力するものとして描写された。映画に紹介された状態は、長い歴史的な過程の結果として現れた。ある社会的習慣が固まったら、後は存続する世代の見よう見まねとなってしまう。見よう見まねといえば、世界の異なる国民の声調もおもしろい。テレビでアメリカの女性の話を聞くと、とても特別な声である。アメリカ人の女性ならみんな同じだが、他の国の女の人と違う声調を出す。たぶん子供のときに女の子が母親を「聞こう聞きまね」と観察し、自分の声を自然的に模範に合わせるかもしれない。しかし、アメリカ人の女性の特殊の声調はハンガリー人とポーランド人と日本人の女性が真似できないはずだ。日本ではこの現象が良く見える。女性が高くて繊細の声調で話す。男性は速く後舌母音の多いうなり声で話す。その上、日本のような島国根性の社会には外の影響も内の有様を薄めない。それぞれの世代が自分の言語状態を引き継ぎ、結局男女が自分の特別ぐらいな言葉が出来上がる状態も可能になる。この現象は将来消えてしまうとは言いたくないが、言語は永遠に変化し続けるものであるから、分離は必ず合一し、合一は必ず分離する。(ヤーノシュ)
男の人は情報の伝えかたに、女の人は情報そのものにこだわる。それは経験した感情を伝える際にも現れる。今の時代には男っぽい女もいれば、娘心の男もいて、かれらの話しかたは男女の混ぜ合わせのようにも見えるが、これが三番目の話しかたなのかとうい疑問もある。例えばエモバンドの歌詞の内容はどちらのカテゴリーに入れられるのだろうか。なお、ハンガリー語を調べれば、男女の言葉使いに違いがあることがわかる。キュート、かわいい意味をもつ言葉(ツキ、アリ、エーディ)はだいたい女性しか使わない。感情を表す言葉も女性のj方がよく使う。一方、下品な言いかたと論理的言いかたの言葉使いも見られる。ある人がある言葉を何遍も使うなら、その人にとってその言葉の意味範囲は他の人よりもっと広いかもしれません。(ダニエル)
日本語の特徴の一つは女性と男性が使う言語の違いである。女性は男より更に丁寧に話さなければならないだけではなく、女性が使ってははいけないことばも数多くある。ハンガリーといえば、それほどおおきな違いはないと思うが、女性が悪口を言ったり大きい声で喧嘩をしたりするのはどこでも女らしくないと思われるのではないであろうか。女性は優しく温和だと期待されるからであろう。そうではあるが、今は特に若い女性の間でも悪口が非常に流行っているようである。最近映画などで強い女性のキャラクターがよく出てくるし、マスコミで悪口が使われるのも珍しくないので、テレビの影響もあり、悪口や強い言葉遣いがかっこよくおもわれているのかもしれない。(エリカ)
ハンガリーでは男性と女性の会話のスタイルはあまり違ってないと思う。言葉的な違いはないと思うけど、やっぱり女性には使わない方がいい言葉がある。悪口雑言を使うのは男性にも悪いことだけど、女性がこんな言葉を使ってはいけない。たぶん女性はテレビを見て、これは流行していると思うかもしれない。ハンガリーでは昔から人が女性はきれいな存在とだと思ったからきれいな話し方が似合うのだろう。そしてこのテーマに話したとき男性達は「最近女性が使うあまったるい話し方は男性は絶対使わない。じょうだんでも使わない。」と言った。もう一つの違いは心理的な違いだ。シャーリの言ったとおり、日本では男性は情報中心、女性は心理的なつながりが中心だ。これはハンガリーでもそうだと思う。でも、やっぱり違いはこれだけだと思う。このテーマが私はあまり知らないから、ネットで探してみたが、これについての記事があまり見つからなかった。一つの記事には「性差別の語学的な研究はハンガリーではまだ新しいことだ。」と書いてあり、性別に敏感な言葉もあるしそうでない言葉もあると書いてあった。ハンガリー語は性別に敏感がない言葉だ。だから男性と女性の会話に違いはあまりないんだと思う。(エステル)
日本語のような「女性言葉」はハンガリー語でも存在しているのだろうかと最近同級生に聞かれた。日本語の場合、男性の言葉と女性の言葉ははっきり区別できるがん、男性と女性の違いは精神的なものであると考えると他の言語でもそのような違いがあるに違いないだろう。日本語では言葉遣いをはじめ、感動詞や人代名詞などを基準として、例え小説であってもその文を言ったのは男性か女性か一目で分かる。ハンガリー語の場合は小説で読んだだけで必ずしもすぐ男女を区別できるわけではないが、分かる場合も確かにある。たとえ「女性言葉」と呼ばれていなくても、「女性らしい言い方」が存在しているだろう。小さい子供をはじめ、女の子は両親に言われている文句の一つは「何その言い方、女の子のくせに?」や「女の子らしくしゃべりなさい!」などである。ハンガリー語では「女性言葉」は文法的に定められていなくても、規則を使って描かれなくても、人々の意識には間違いなく存在しているようである。(クリスティナ)
そうですね。シャーリさんのテーマは女と男の会話のスタイルの違いでした。日本でたくさんのスピーチのパターンがあります。ハンガリーで男女の会話のスタイルで違いについては難しい問題だと思います。一目見てあまり大きな相違はないと思います。女性と男性は多分同じ言葉を使いますし。でも女性は最近キュートな言葉も使います。例えばハンガリーの女性は何が可愛い場合は「Cuki」といいます。この言葉は男性があまり使いません、「いい」とか「Ok」と言います。でも最近は男性だけじゃなくて女性も悪態をつきますし、悪態をつくときとき男性と同じように女性も悪い言葉を言います。多分メディアのせいでみんなのスピーチパターンが近いもにになります。特に女性が男っぽく話すことが目立ちます。最近の女子はもっと強いアピールを見せたいからカッコいい言葉を使います。でもこのかっこいい言葉は実は汚い言葉ですから、結果は「強さ」ではなくて「乱暴」のイメージがつきます。でも女性たちはこれは気付いていない。日本ほどではありませんが、ハンガリーでも女性と男性の会話は多分スタイルが少し違います。そしてテーマも大きく異なります。たとえば女性たちはお互いに話すときはもっと女らしいテーマについて話します、化粧とか、男性とか、服とかについてです。そして男性もお互いに男性が気になるテーマについて話します。(ジュジャンナ)
日本と違って、ハンガリーでは特に男性が使ってる言葉と女性が使っている言葉は分けてないと思うが、やっぱり男性と女性の話し方はちょっと違うといえる。例えば、男の人のほうがきたない言葉を使っている。きたない言葉は男性がよく日常会話で使っていて、女性はこんなのはほとんど使わないと思う。もし同じきたない言葉が女性によって使われたら、男性よりもっと乱暴な気がする。時々男の人は自分できたない言葉を使っているが、もし誰かの女の人が同じ言葉を使うと気になる。一方女性が時々言葉を短くして、かわいい言い方に変えることがある。特に若い女性がそんなのをよく使っている。例えば「可愛い」の「aranyos」の言葉を「edi」それとも「cuki」にする。男性が「cuki」を使ったら、少し変な気がして、全然男らしくない。そして女性は男性に比べれば、強い意見はあまり言わないで、男性の方が直接意見や評価を言う。でもそれがあっても、まだハンガリー語は言葉遣いのことで日本語に比べれば、そんなに違いはないと思う。(アルネ)
なぜ男はそんな言い方をし 、なぜ女はあんな話し方をするのか。男女の会話スタイルとは、様々な違いがある。精神的にも、それから言語学的にも違っている部分について少し考えてみよう。日本であれ、ハンガリーであれ、会話の男女差を皆きっと経験したことがある。日本だと、最近、男性の話しスタイルがわってきている。若い男性の考え方も、ミタメもなんだか女っぽくなってきたり、普段女性に使われている語尾の助詞も男性に多く使われたりして、話し方さえも益々女っぽく感じられているのではないかと思う。傾向が出始めたきっかけは何だろう。マスメディアの影響が強いと考えてもよい。ハンガリーの場合は、日本のような傾向はまだ出始めないと思うが、女の子だけ使われているかわいい言葉がたくさんあるらしい。面白いことは、それが男性に使われたら、きっとゲイと見なされてしまうことだ。日本人の男性が女性の語尾助詞を使おうとしても、別にそこまでは見なされないと思うので、日本はそこまで厳しくないと思う。ハンガリー人の性別役割意識が現在の若い日本人より強いので、話し方もきちんとハッキリにしているのではないか。とはいえ、以上のことは国によって違うので、パターンなどはないと思っている。(マリアン)
ハンガリー語では男女の会話のスタイルに違いがほとんどない。男女は別の物に興味がある為一番大きい違いはたぶん話しのテーマだと思う。男はスポーツ、機械や女についてよく話すにに対し女はファッションや家族についてよく話す。その上女は長く自分の感情について話すが、おとこはもっと議論的に話す。次はちょっと言葉遣いについて話したいと思う。女として気付くことは女のほうが汚い言葉を使うことが少ないということだ。汚い言葉を使うと男より女のほうが不自然に見える。女の子は母に「女の子はそんなはしたない言葉を使ってはいけないでしょう。」と叱れることが多いし、おそらく社会も女はきれい言葉を使うべきだと思っているだろう。女が「ari=aranyos」(かわいい)とか「ubisali=uborka salata」(キュウリサラダ)のような可愛らしい言葉を使うのは男より多い。その他、女が間接的言葉、つまり「と思う」とか「ってどう」とか使うことも多い。(エメシェ)
確かに最近の女性の口が汚くなった。男の言葉を使ってるけど、それはなぜだろうか。男女平等の思想の普及が原因とされているけど、男と女が平等じゃなくて、同じになったとは考えられないか。ハンガリー語は女の子しか使わない可愛らしい言葉の他には、男女言葉で異なってるところは少ないようだ。日本でも男と女が話す言葉が近くなっているようだが、私がびっくりしたのが最近の日本人の男性(いわゆる草食系男性)が「美味しいわ」とか「かわいいもん」とかを言うようになったということだ。それで本当にいいのかと思ってしまう。本当は言葉が変わってるよりも社会が変わってるというのが正しいのかもしれない。「美味しいわ」を言う男は言葉遣いだけじゃなくて、態度も女らしいと気づいた。もしもハンガリーが昔の日本と同じように男と女が不平等だったら、ハンガリー語も男女の言葉遣いが大いに異なってるはずだ。ただ、個人的には私は男と女の言葉遣いで差があった方がいいのではないかと思う。ハンガリーはこれ以上男女が平等化したらもしかしたらオカマの人が増えてしまうかもしれない。(ジュラ)
今週の最初の対話はハンガリーで男性と女性が言葉を使い分けるかどうかということについてでした。シャーラさんは日本語の敬語を研究しているときに、こういう面白いテーマを知ったそうで、私が今まで深く考えたことがないハンガリー語の特徴について考えることが出来ました。現代のハンガリー語でも男性と女性の言葉を見るとやはりお互いの言葉が近づいている傾向が見えます。この点でハンガリー語と日本語が同じようです。しかし普遍的にこうした結論ができても具体的な場面を見ると男性と女性言葉の使い分けは欠かせないと分かりました。女性同士なら男性の私でさえ驚くほどの男っぽい話し方を使うことがよくあります。全く女性らしくないと思ってしまうようなこともあります。しかし男性が女性と接する際にはこれとは根本的に違う印象を残します。例えば男性に対して社会的な地位を占めなければいけない場合は女性が上品で親切ななハンガリー語を使うことが多いです。例えばクラスの中の同級生や友達の女の子はよくこういう言葉使いをします。こうした言葉の使い分けで自分が女性だと強調することが出来ます。ではその逆はどうでしょう。自分が男性に対してそれと同じ地位を占めるというメッセージを伝えたい場合は女性が男性言葉を使うことがあるのでしょうか。よくあります。例えば打ち合わせの場合に、女性は、脆くて、優しい存在ではなく、強くて、巻けず嫌い性格を示したいという女性をよく見かけます。こういう女性と話しながら頭に浮かぶのはやはり油断せず話しの内容に集中したり、それに対して自分の立場を守ったりするのが普通で、相手の性別は気にしないようにします。また、ハンガリーでも、男女言葉の使い分けが現代でも残っているという点で私たちの意見は一致しました。しかしこの言葉使いの特徴はその場面的な意味があります。場面によって、男女言葉は色々な役割を果たします。男女言葉を使いこなせば自分がどの印象を与えるかがわかってきます。この話題レポートをまとめることで、シャーラさんの役に立つことができたように祈っています。シャーラさん今後も面白いテーマを頑張ってください!(レベンテ)
確かに男女の役割が社会の厳格な規則によって定められる。歴史を見ると、英雄の男性に伴う繊細の女性を描いた絵が多数ある。私はさっき見た「レッドクリフ」という映画の一つの場面で、英雄の主人公が、婦人が「孫子」を引用するときにほんの少しの怒りが入った反応を思い出す。彼女はなんで戦争に関することに触れられてしまったのかと考えたはずである。婦人は、茶道の天才で将来「平安」という子供を生む人物として平和と文化の象徴であった。夫は、この平和を得る、この文化を守るため努力するものとして描写された。映画に紹介された状態は、長い歴史的な過程の結果として現れた。ある社会的習慣が固まったら、後は存続する世代の見よう見まねとなってしまう。見よう見まねといえば、世界の異なる国民の声調もおもしろい。テレビでアメリカの女性の話を聞くと、とても特別な声である。アメリカ人の女性ならみんな同じだが、他の国の女の人と違う声調を出す。たぶん子供のときに女の子が母親を「聞こう聞きまね」と観察し、自分の声を自然的に模範に合わせるかもしれない。しかし、アメリカ人の女性の特殊の声調はハンガリー人とポーランド人と日本人の女性が真似できないはずだ。日本ではこの現象が良く見える。女性が高くて繊細の声調で話す。男性は速く後舌母音の多いうなり声で話す。その上、日本のような島国根性の社会には外の影響も内の有様を薄めない。それぞれの世代が自分の言語状態を引き継ぎ、結局男女が自分の特別ぐらいな言葉が出来上がる状態も可能になる。この現象は将来消えてしまうとは言いたくないが、言語は永遠に変化し続けるものであるから、分離は必ず合一し、合一は必ず分離する。(ヤーノシュ)
男の人は情報の伝えかたに、女の人は情報そのものにこだわる。それは経験した感情を伝える際にも現れる。今の時代には男っぽい女もいれば、娘心の男もいて、かれらの話しかたは男女の混ぜ合わせのようにも見えるが、これが三番目の話しかたなのかとうい疑問もある。例えばエモバンドの歌詞の内容はどちらのカテゴリーに入れられるのだろうか。なお、ハンガリー語を調べれば、男女の言葉使いに違いがあることがわかる。キュート、かわいい意味をもつ言葉(ツキ、アリ、エーディ)はだいたい女性しか使わない。感情を表す言葉も女性のj方がよく使う。一方、下品な言いかたと論理的言いかたの言葉使いも見られる。ある人がある言葉を何遍も使うなら、その人にとってその言葉の意味範囲は他の人よりもっと広いかもしれません。(ダニエル)
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