「マンガとコミックスの違い、マンガの将来」の詳細記事: 対話の世界
カーロリ大学日本学科の議論の授業用ブログ
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マンガとコミックスの違い、マンガの将来
日本では将来、遅かれ早かれ漫画はディジタルになると思う。全部ではないにしても、多くの漫画のディジタル版が発売されることになる可能性が高い。ちなみに、もう「電紙」という電子ペーパーが発明され、現在は新聞や雑誌、いろいろ文学作品までディジタルエディションが購入できるようになっている。その点からディジタル漫画は不可能ではないでしょう。電子ペーパーが便利だし地球に優しくて、経済上の価値も持つ。それはすなわち、電子ペーパーが大流行になったら、まず古紙の扱い、そこまで再利用やリユースなどのために投資したコストが貯まることになる。それに紙リサイクル業における労力もかなり軽減されることができる。一方、日本製の電子ペーパーが世界的発売になると日本経済にとって良い結果をもたらすに相違ない。それは電紙とディジタル世界のいいところだ。しかし裏の面として、例えばディジタル漫画の読者への精神的や感情的な印象はどうなるのか、電子ペーパーの画面を見ながら読むことは読者にこれまでとは何とか違う印象を与えるではないだろうか。これは私が信じている「本は魂を持つ」ことにもつながると思う。本を手に取って、紙の匂いを嗅いで、本の手ざわりを楽しむということは、電子ペーパーでは生み出せない感じである。電子ペーパーはどんなに技術が発達しても、本のような文化的価値を持たない、ただ文字や絵を見せる器具でしかないのではないだろうか。(ソフィー)
私はマンガの世界もコミックスの世界もあまり知らないので、この二つを対照する時には少し困るのであるが、できるだけよく考えてみる。まず最初に、形式的な違いがあるであろう。色使いのほかに日本のマンガに出てくるキャラクターは大きいな目など独特な特徴が数多くある。また、一番大きな違いはテーマの選び方に見られると思う。私の個人的な感想にすぎないかもしれないが、ヨーロッパのコミックスといえば、もちろん大人のファンも数多くいると思うが、子どもや少年の世界のイメージが強いのではないであろうか。それに反して、マンガの対象は子どもから大人まで更に広い幅があるであろう。それに応じて、暴力など子ども向けのコミックスでは現れるはずのないテーマも数多く出てくるし、その表し方もヨーロッパで不慣れに感じられるほど率直ではないであろうか。(エリカ)
漫画の未来は私にとって本当に面白いテーマだ。発表で言ったとおり現代の漫画は「電画」になる可能性がある。これはやっぱり本の未来と同じかもしれない。そのための機器は電子書籍、他の呼称は電子ブック 、Eブック だ。その機器はいい所がたくさんある。たとえば、一台の電子ブックで何冊の本も含む事が出来る。狭い家で住む人に何冊の本があるよりもっと便利だと思う。そして厚い本よりもっと軽量だ。バスや地下鉄の中でハリーポッターやそのような本を持っている人が見るとき「重いだろうな」と思う。家で読んでる時もこんなに重くて大きいな本は動きにくいから、人はずっと同じポーズで座ると体が硬くなる。でも、この電子ブックはあまり重くないし、カバーも邪魔しないし、そんな場合では使いやすいと思う。出版するのも普通の本の出版より簡単だし、あまり高くないし、経済にもよいと思う。ジュジャンナさんは電子漫画をつくるのは漫画家にももっと簡単にいなると言った。ただ、それはたぶんみんなには当てはまらないと思う。パソコンなどをよく使えない漫画家もいるかもしれない。たぶん時間が経つにつれこれも変わる。電子ブックの他のいいポイントは漫画における描き文字が聞こえる音に変わることも出来るということだ。これは声優にも仕事になる。そして電子ブックにすると新聞や雑誌の申し込みも簡単になると思う。たとえ申し込みをするとき「電子ブック」のオプションを選べば、サイトにダウンロードのオプションが使えるようになり。後で電子ブックにアップして雑誌の号を読める。他の方法もたくさんある。たとえAmazonに本や雑誌やマンガを電子ブック買える。でも、あまりよくない所もある。たとえ本より目に悪い。そしてやっぱり私も本当の本が好きだ。本の場合、香りのおかげで。古くなった本の香りが好き人がたくさんいる。そしてパソコンが使えない人も本を選ぶと思う。ただマンガの場合では電子マンガは未来があると思う。簡単だし、たぶん普通より安いし、そしてもっと近代的だから。マンガがただ暇のときリラックスのために読む人に「電画」でもいい。でもオタクには普通のマンガはもっとよいと思う。物を集めるのが好きなタイプな人だから。本の形をしているマンガはもっと現実性のあるものだろう。電子マンガでいいならネットからダウンロードできるから、買うならきっとマンガを買いたいと思う。でも外国人としては一つのいい所がある。注文するとき電子マンガや電子本だとすぐ手に入るということだ。本で出版したマンガや本は自国に着くまで傷付く事もあるし、途中で無くなることもある。でも電子ブックはオタクの為ではない機器だ。本当に便利だから流行になると思う。(エステル)
漫画についての発表で漫画と本、印刷されている物の将来について少し考えました。ジュジャンナさんに教えてもらったように、日本には紙の変わりにもう様々な物が使われています。今はEペーパーみたいな最近発明されたばっかり物の値段は高いから、あまり広がっていないと思いますが、将来は安くなって、一般人も使える時代になると印刷メディアはなくなる恐れが高いです。私の考えでは、ラジオ、テレビとパソコンなど、20・21世紀の電子機械と、それと共に電子メディアが現れた時も同じように印刷メディアがなくなると恐れがあったと思います。現在のメディアの状態を見ると印刷メディアはまだ存在しているし、今はテレビとパソコンの世の中でも本と漫画はまだとても人気があります。将来でEペーパのような電子機械がいくつかあっても、印刷した本と漫画は将来があると思います。なぜかというと、パソコンを読むことのために使うのが好きではない人の方が多いし、本と漫画などを手に入れるのが機械で読むことと全然違います。日本人みたいにいつもとても忙しい国民だと、出勤する時しか本と漫画を読めない人達の場合はEペーパーは人気になりそうですが、印刷した漫画がなくなるのが可能性は少ないと思います。(シャーラ)
日本の漫画は最近世界中で大人気であるに違いない。それとともに、デジタル化の時代になり、インターネットのおかげで、どんな情報でも手に入れられるようになった。その二つの傾向はお互いに影響を与え、デジタル出版の漫画市場を設けられるのだろうか。その質問に答える前、ちょっとデジタル出版ということは何だろうかとも考えるべきかもしれない。最近、世界中に紙の使用が多すぎるのが環境問題の一番深刻な一部とも言われている。それに対して、紙の使用を減らそうとするデジタル出版が発達し、電子書籍のための機器も発明されたが、それで本当に紙ごみを減らせるのだろか。それに、電源の利用もきっと増えるので、本当に環境問題の解決として役に立つのだろうか。その上に、愛読者は機器を使って読むことが好きになれるのだろうか。今までずっと本などが好きだった人々の気持ちは簡単に変われないだろう。その本は小説であっても、漫画であっても同様かもしれない。デジタル漫画市場が発達するかどうかやはりデジタル出版の依存である。(クリスティナ)
ジュジャさんはマンガの未来それからマンガと洋風コミックスの違いについて発表した。元々日本で制作されたものであり、現在世界中にマンガを読んでいる人は大勢いると考えられている。なぜかというと、洋風コミックスと共にマンガの絵も上手く描かれているし、慣例的な洋風コミックスの英雄に比べてマンガの主人公は精神的に全く違うので、読んでいる人の好き嫌い・好みによってどちらも人気になるだろうからである。では、マンガの雑誌・単行本は将来も読めるのだろう?ディジタル世界になると、今本の状態で存在しているマンガが消えてしまう可能性があるかもしれず、その場合電子媒体のマンガにかわるということになる。しかし、これも今のマンガというものと同じものだろうか。私の意見では、先ず、マンガはこれから先の未来いつまでも存在し続けると思う。将来も紙に印刷されたマンガというものは消えないと思う。もしかすると、本屋でディジタルのマンガが発売され始めかもしれないが、図書館とか、ブックオフなどの売り場では何年がたっても、本としての存在が間違いなく残ると思う。若い子がたとえいくらディジタル製品にハマったとしても、・本・を読むときに特別な雰囲気があり、それはとても大切な感じだと思うので、こういう感じが好きな人たちは漫画の単行本か雑誌も必ず買うと考えてもよいだろう。(マリアン)
「ね、漫画のことはどう思う。」
「漫画か。。。日本のコミックスで本の最後のページから読む。後、キャラクターの目が大きい。」
漫画について聞いたら、おそらく返事はこんな感じになるだろう。確かに日本の漫画を最初に見るとき一番目立っている違いは読み方の違いである。ヨーロッパ人やアメリカ人はコミックを左から右に読むが、日本人は漫画を右から左に読む。そのため外国で出版された漫画の裏に読み方の説明がある。漫画とコミックスの絵の違いというとコミックスのほうが絵がリアリスティックだということだ。漫画で色々なスタイルがあるが、キャラクターの多くは目が大きくて、髪の色は何でもいい。コミックのほうがコマとテキストが多い。ほとん
どの漫画は白黒でコミックスは色絵だ。内容を見るとコミックスのほうが総和的で、漫画の中ではまともなストーリーがあるほうが多い。漫画のストリーはコミックスより変化に富んでいる。漫画にはカテゴリーと対象読者のバリエーションも多い。(エメシェ)
美術やエンターテイメントの世界では、何が流行ってるかは内容的と技術的な問題だけではない。漫画はアートというよりも商売かもしれない。いや、商売に決まってるだろう。金は大事だということで、商売の需要に応じて漫画が変化する。現代のハイテク化した日本では、なぜデジタル本より紙の本が売れるか、確かに不思議だ。私の意見ではこれは技術的な問題ではなくて、商売の問題だ。漫画を作るのが簡単に見えるけど、ペンと紙だけあればできるようだが、本当は漫画本一巻を出すには10-15人の協力が必要だ。漫画はいま大商売で、漫画につながる産業がある。漫画の産業はもう固まっていて、技術があっても息なりデジタルに転じるわけにはいかない。10-15人の仕事がかかってるからだ。漫画をデジタル化するにはまず漫画の産業の変更が必要だ。それにはかなり時間がかかる。カスタマーは売られてるものしか買えないから、もしもデジタル漫画がもっと多く売られたら、漫画のファンがデジタルの方も購入するはず。それは問題ない。Eペーパーみたいな本とか漫画本などは流行りそうだが、デジタル漫画が大人になるまでは10-20年もかかるかもしれない。漫画が変わっていく、そして漫画の新しい姿が産まれる。新しい姿はどのようになるか、いま予見してみるしかないけど、伝統的な漫画本の繁盛がいつまでも続くことはない。未来のマンガは携帯媒体になるのかEペーパーになるのか、今から楽しみにしてる。(ジュラ)
私は漫画のことをよく知らない。だから自分のいくつかの単なる見聞きしか書けない。最初に、西洋のコミックスと日本の漫画の機能は違うかもしれない。西洋と東方は両方画像文化である、異なる映像文化がある。例えば漢字とローマ字の使用からもこれが言える。映像性を持つ漢字と逆に、ローマ字はこんな映像性がないため読むには違う脳活動が起こる。だから、漫画の中の漢字テキストとコミックスの中のローマ字では画像に対しする分離の度合いが違う。主に仮名を使用する漫画の場合は、画像と文字との相違がないかもしれない。漫画の絵の全体に見えるどぎつい文字もこれを証明している。コミックスではこんな文字は珍しい。パソコンによって想像された人物を使用する傾向も画像文化の違いを指す。漫画での人物がみな特殊の個人を描写する必要はない。その代わりに、タイプが分けられるようになっている。西洋のコミックスは既成概念に基づく人物が描かれるが、すべての者が特殊のある目鼻立ちなどをしている。西洋の読者と日本の読者では、描写する人物に対しての要求がやはり違うようだ。この要求の有様があるからこそ、漫画の人物の機能も日本の特殊の画像文化に根付いたものだと言えるだろう。(ヤーノシュ)
長い伝統をもつ日本マンガはいくつかの変化を臨んでいます。いまの木材消費が減るため、だんだんディジタルになって、読めると思います。それと同時にいまも発売中の「携帯本」のような機械のかずが増えて、ダウンロードしたらどこでもマンガなどが読めます。あるいはマンガにある規制、たとえば白黒書き方のようなパターンが弛みます。ただ、こうなったとしても、わたしがかんじる傾向では、マンガのストーリーの水準がざんねんながら落ちて、マンガ著者はマンガが普通のしごとのように考えて、つまらないものばっかり創造するようになると思います。21世紀にもおこる世界観の変更で、ものごとをじょうずに改善する日本人はどうやってマンガのジャンルにこれを伝えるのか。どう変わっていくのか21世紀の「新漫画」をきょうみをもって、たのしみにしています。(ダニエル)
人間の研究や発見はすべて人の人生をもっと楽に楽しくするためのものでした。タイヤから携帯に至るまでその発見は人間の生活をもっと簡単で、安く、早くするために作られました。この日々合理的になっている世界で漫画の将来はどうなるのでしょうか? 1879年にエジソンが初めて電球をつくりました。そして1920年にアメリカの大きな町の大部分は公光源として電球を使うようになりました。ろうそくやガスランプと比べて電球はもっとべんりでした。そのあとどんどん自家用になりました。これを見ると本、そして漫画もこれと同じ将来が待っているような気がします。もっと安く、ユーザフレンドリーの発明品を見付けて、今後は紙の作品の数は段々減っていくのは間違いないと思う。たしかに今の世代では、とくに気を休めたいとき、デジタルのテキストより伝統的な本や漫画を選びます。紙の感触、繰るときの音と、子供のころから、何時間もたのしく漫画を読んでいる思い出に人工な感じをもっているデジタルテキストは勝てないです。でも雑記帳よりパソコンにノートを取る学生が多くて、手紙の代わりにEメイルを使う場合が増えています。図書館に行って、かりるよりインターネットでさがしてダウンロードするのが易しいです。地球環境を守ろうと考えているとも木を棒にするかわりにデジタルをつかうのはいいです。最近のモニターは目に悪いと言われてるけど、それは本を読む場合にも言えるでしょう。漫画家から読者に作品がもっと早く届きますし、デジタルは汚損しないし、あまり貯蔵場所をとらないし、文の中で検索するのも簡単です。いちどなれたら、紙の本より便利です。デジタルより伝統的の漫画を好んでいる人の一つの主張はパソコンをつかって漫画を書くのは本当の漫画ではないというものです。しかし、私はそう思いません。作っている工具が違いますけど、同じです。 つまり、同じことのスタイルの違いだけです。またほかの主張としては、けいたいでよめる漫画は不人気だというものです。日本人はけいたいでよくゲームしてますけど、漫画の読者の数は割と少ないです。この理由は携帯のディスプレーのサイズでは文字を読んで画を楽しめることは非常に難しいことがあげられます。でももっと大きい規格の漫画本のおおきさのデジタルのバージョンがあればその問題はなくなります。この過程が悪いかいいかわかりませんけど、必然のことです。ただの漫画ではなくて、本ももっと新しいデジタルのテキストに役割をわたしてなかればならない。人間の歴史がそれをよくあらわしています。でも本は完全になくなることはないです。ろうそくと電球の関係みたいに本も将来ではデジタルのテキストと比べてなにか特別な意味を持つようになると思います。日常的にデジタルを使って、特別のときもっと上品な本を楽しむようになると思います。(ヴェロニカ)
私はマンガの世界もコミックスの世界もあまり知らないので、この二つを対照する時には少し困るのであるが、できるだけよく考えてみる。まず最初に、形式的な違いがあるであろう。色使いのほかに日本のマンガに出てくるキャラクターは大きいな目など独特な特徴が数多くある。また、一番大きな違いはテーマの選び方に見られると思う。私の個人的な感想にすぎないかもしれないが、ヨーロッパのコミックスといえば、もちろん大人のファンも数多くいると思うが、子どもや少年の世界のイメージが強いのではないであろうか。それに反して、マンガの対象は子どもから大人まで更に広い幅があるであろう。それに応じて、暴力など子ども向けのコミックスでは現れるはずのないテーマも数多く出てくるし、その表し方もヨーロッパで不慣れに感じられるほど率直ではないであろうか。(エリカ)
漫画の未来は私にとって本当に面白いテーマだ。発表で言ったとおり現代の漫画は「電画」になる可能性がある。これはやっぱり本の未来と同じかもしれない。そのための機器は電子書籍、他の呼称は電子ブック 、Eブック だ。その機器はいい所がたくさんある。たとえば、一台の電子ブックで何冊の本も含む事が出来る。狭い家で住む人に何冊の本があるよりもっと便利だと思う。そして厚い本よりもっと軽量だ。バスや地下鉄の中でハリーポッターやそのような本を持っている人が見るとき「重いだろうな」と思う。家で読んでる時もこんなに重くて大きいな本は動きにくいから、人はずっと同じポーズで座ると体が硬くなる。でも、この電子ブックはあまり重くないし、カバーも邪魔しないし、そんな場合では使いやすいと思う。出版するのも普通の本の出版より簡単だし、あまり高くないし、経済にもよいと思う。ジュジャンナさんは電子漫画をつくるのは漫画家にももっと簡単にいなると言った。ただ、それはたぶんみんなには当てはまらないと思う。パソコンなどをよく使えない漫画家もいるかもしれない。たぶん時間が経つにつれこれも変わる。電子ブックの他のいいポイントは漫画における描き文字が聞こえる音に変わることも出来るということだ。これは声優にも仕事になる。そして電子ブックにすると新聞や雑誌の申し込みも簡単になると思う。たとえ申し込みをするとき「電子ブック」のオプションを選べば、サイトにダウンロードのオプションが使えるようになり。後で電子ブックにアップして雑誌の号を読める。他の方法もたくさんある。たとえAmazonに本や雑誌やマンガを電子ブック買える。でも、あまりよくない所もある。たとえ本より目に悪い。そしてやっぱり私も本当の本が好きだ。本の場合、香りのおかげで。古くなった本の香りが好き人がたくさんいる。そしてパソコンが使えない人も本を選ぶと思う。ただマンガの場合では電子マンガは未来があると思う。簡単だし、たぶん普通より安いし、そしてもっと近代的だから。マンガがただ暇のときリラックスのために読む人に「電画」でもいい。でもオタクには普通のマンガはもっとよいと思う。物を集めるのが好きなタイプな人だから。本の形をしているマンガはもっと現実性のあるものだろう。電子マンガでいいならネットからダウンロードできるから、買うならきっとマンガを買いたいと思う。でも外国人としては一つのいい所がある。注文するとき電子マンガや電子本だとすぐ手に入るということだ。本で出版したマンガや本は自国に着くまで傷付く事もあるし、途中で無くなることもある。でも電子ブックはオタクの為ではない機器だ。本当に便利だから流行になると思う。(エステル)
漫画についての発表で漫画と本、印刷されている物の将来について少し考えました。ジュジャンナさんに教えてもらったように、日本には紙の変わりにもう様々な物が使われています。今はEペーパーみたいな最近発明されたばっかり物の値段は高いから、あまり広がっていないと思いますが、将来は安くなって、一般人も使える時代になると印刷メディアはなくなる恐れが高いです。私の考えでは、ラジオ、テレビとパソコンなど、20・21世紀の電子機械と、それと共に電子メディアが現れた時も同じように印刷メディアがなくなると恐れがあったと思います。現在のメディアの状態を見ると印刷メディアはまだ存在しているし、今はテレビとパソコンの世の中でも本と漫画はまだとても人気があります。将来でEペーパのような電子機械がいくつかあっても、印刷した本と漫画は将来があると思います。なぜかというと、パソコンを読むことのために使うのが好きではない人の方が多いし、本と漫画などを手に入れるのが機械で読むことと全然違います。日本人みたいにいつもとても忙しい国民だと、出勤する時しか本と漫画を読めない人達の場合はEペーパーは人気になりそうですが、印刷した漫画がなくなるのが可能性は少ないと思います。(シャーラ)
日本の漫画は最近世界中で大人気であるに違いない。それとともに、デジタル化の時代になり、インターネットのおかげで、どんな情報でも手に入れられるようになった。その二つの傾向はお互いに影響を与え、デジタル出版の漫画市場を設けられるのだろうか。その質問に答える前、ちょっとデジタル出版ということは何だろうかとも考えるべきかもしれない。最近、世界中に紙の使用が多すぎるのが環境問題の一番深刻な一部とも言われている。それに対して、紙の使用を減らそうとするデジタル出版が発達し、電子書籍のための機器も発明されたが、それで本当に紙ごみを減らせるのだろか。それに、電源の利用もきっと増えるので、本当に環境問題の解決として役に立つのだろうか。その上に、愛読者は機器を使って読むことが好きになれるのだろうか。今までずっと本などが好きだった人々の気持ちは簡単に変われないだろう。その本は小説であっても、漫画であっても同様かもしれない。デジタル漫画市場が発達するかどうかやはりデジタル出版の依存である。(クリスティナ)
ジュジャさんはマンガの未来それからマンガと洋風コミックスの違いについて発表した。元々日本で制作されたものであり、現在世界中にマンガを読んでいる人は大勢いると考えられている。なぜかというと、洋風コミックスと共にマンガの絵も上手く描かれているし、慣例的な洋風コミックスの英雄に比べてマンガの主人公は精神的に全く違うので、読んでいる人の好き嫌い・好みによってどちらも人気になるだろうからである。では、マンガの雑誌・単行本は将来も読めるのだろう?ディジタル世界になると、今本の状態で存在しているマンガが消えてしまう可能性があるかもしれず、その場合電子媒体のマンガにかわるということになる。しかし、これも今のマンガというものと同じものだろうか。私の意見では、先ず、マンガはこれから先の未来いつまでも存在し続けると思う。将来も紙に印刷されたマンガというものは消えないと思う。もしかすると、本屋でディジタルのマンガが発売され始めかもしれないが、図書館とか、ブックオフなどの売り場では何年がたっても、本としての存在が間違いなく残ると思う。若い子がたとえいくらディジタル製品にハマったとしても、・本・を読むときに特別な雰囲気があり、それはとても大切な感じだと思うので、こういう感じが好きな人たちは漫画の単行本か雑誌も必ず買うと考えてもよいだろう。(マリアン)
「ね、漫画のことはどう思う。」
「漫画か。。。日本のコミックスで本の最後のページから読む。後、キャラクターの目が大きい。」
漫画について聞いたら、おそらく返事はこんな感じになるだろう。確かに日本の漫画を最初に見るとき一番目立っている違いは読み方の違いである。ヨーロッパ人やアメリカ人はコミックを左から右に読むが、日本人は漫画を右から左に読む。そのため外国で出版された漫画の裏に読み方の説明がある。漫画とコミックスの絵の違いというとコミックスのほうが絵がリアリスティックだということだ。漫画で色々なスタイルがあるが、キャラクターの多くは目が大きくて、髪の色は何でもいい。コミックのほうがコマとテキストが多い。ほとん
どの漫画は白黒でコミックスは色絵だ。内容を見るとコミックスのほうが総和的で、漫画の中ではまともなストーリーがあるほうが多い。漫画のストリーはコミックスより変化に富んでいる。漫画にはカテゴリーと対象読者のバリエーションも多い。(エメシェ)
美術やエンターテイメントの世界では、何が流行ってるかは内容的と技術的な問題だけではない。漫画はアートというよりも商売かもしれない。いや、商売に決まってるだろう。金は大事だということで、商売の需要に応じて漫画が変化する。現代のハイテク化した日本では、なぜデジタル本より紙の本が売れるか、確かに不思議だ。私の意見ではこれは技術的な問題ではなくて、商売の問題だ。漫画を作るのが簡単に見えるけど、ペンと紙だけあればできるようだが、本当は漫画本一巻を出すには10-15人の協力が必要だ。漫画はいま大商売で、漫画につながる産業がある。漫画の産業はもう固まっていて、技術があっても息なりデジタルに転じるわけにはいかない。10-15人の仕事がかかってるからだ。漫画をデジタル化するにはまず漫画の産業の変更が必要だ。それにはかなり時間がかかる。カスタマーは売られてるものしか買えないから、もしもデジタル漫画がもっと多く売られたら、漫画のファンがデジタルの方も購入するはず。それは問題ない。Eペーパーみたいな本とか漫画本などは流行りそうだが、デジタル漫画が大人になるまでは10-20年もかかるかもしれない。漫画が変わっていく、そして漫画の新しい姿が産まれる。新しい姿はどのようになるか、いま予見してみるしかないけど、伝統的な漫画本の繁盛がいつまでも続くことはない。未来のマンガは携帯媒体になるのかEペーパーになるのか、今から楽しみにしてる。(ジュラ)
私は漫画のことをよく知らない。だから自分のいくつかの単なる見聞きしか書けない。最初に、西洋のコミックスと日本の漫画の機能は違うかもしれない。西洋と東方は両方画像文化である、異なる映像文化がある。例えば漢字とローマ字の使用からもこれが言える。映像性を持つ漢字と逆に、ローマ字はこんな映像性がないため読むには違う脳活動が起こる。だから、漫画の中の漢字テキストとコミックスの中のローマ字では画像に対しする分離の度合いが違う。主に仮名を使用する漫画の場合は、画像と文字との相違がないかもしれない。漫画の絵の全体に見えるどぎつい文字もこれを証明している。コミックスではこんな文字は珍しい。パソコンによって想像された人物を使用する傾向も画像文化の違いを指す。漫画での人物がみな特殊の個人を描写する必要はない。その代わりに、タイプが分けられるようになっている。西洋のコミックスは既成概念に基づく人物が描かれるが、すべての者が特殊のある目鼻立ちなどをしている。西洋の読者と日本の読者では、描写する人物に対しての要求がやはり違うようだ。この要求の有様があるからこそ、漫画の人物の機能も日本の特殊の画像文化に根付いたものだと言えるだろう。(ヤーノシュ)
長い伝統をもつ日本マンガはいくつかの変化を臨んでいます。いまの木材消費が減るため、だんだんディジタルになって、読めると思います。それと同時にいまも発売中の「携帯本」のような機械のかずが増えて、ダウンロードしたらどこでもマンガなどが読めます。あるいはマンガにある規制、たとえば白黒書き方のようなパターンが弛みます。ただ、こうなったとしても、わたしがかんじる傾向では、マンガのストーリーの水準がざんねんながら落ちて、マンガ著者はマンガが普通のしごとのように考えて、つまらないものばっかり創造するようになると思います。21世紀にもおこる世界観の変更で、ものごとをじょうずに改善する日本人はどうやってマンガのジャンルにこれを伝えるのか。どう変わっていくのか21世紀の「新漫画」をきょうみをもって、たのしみにしています。(ダニエル)
人間の研究や発見はすべて人の人生をもっと楽に楽しくするためのものでした。タイヤから携帯に至るまでその発見は人間の生活をもっと簡単で、安く、早くするために作られました。この日々合理的になっている世界で漫画の将来はどうなるのでしょうか? 1879年にエジソンが初めて電球をつくりました。そして1920年にアメリカの大きな町の大部分は公光源として電球を使うようになりました。ろうそくやガスランプと比べて電球はもっとべんりでした。そのあとどんどん自家用になりました。これを見ると本、そして漫画もこれと同じ将来が待っているような気がします。もっと安く、ユーザフレンドリーの発明品を見付けて、今後は紙の作品の数は段々減っていくのは間違いないと思う。たしかに今の世代では、とくに気を休めたいとき、デジタルのテキストより伝統的な本や漫画を選びます。紙の感触、繰るときの音と、子供のころから、何時間もたのしく漫画を読んでいる思い出に人工な感じをもっているデジタルテキストは勝てないです。でも雑記帳よりパソコンにノートを取る学生が多くて、手紙の代わりにEメイルを使う場合が増えています。図書館に行って、かりるよりインターネットでさがしてダウンロードするのが易しいです。地球環境を守ろうと考えているとも木を棒にするかわりにデジタルをつかうのはいいです。最近のモニターは目に悪いと言われてるけど、それは本を読む場合にも言えるでしょう。漫画家から読者に作品がもっと早く届きますし、デジタルは汚損しないし、あまり貯蔵場所をとらないし、文の中で検索するのも簡単です。いちどなれたら、紙の本より便利です。デジタルより伝統的の漫画を好んでいる人の一つの主張はパソコンをつかって漫画を書くのは本当の漫画ではないというものです。しかし、私はそう思いません。作っている工具が違いますけど、同じです。 つまり、同じことのスタイルの違いだけです。またほかの主張としては、けいたいでよめる漫画は不人気だというものです。日本人はけいたいでよくゲームしてますけど、漫画の読者の数は割と少ないです。この理由は携帯のディスプレーのサイズでは文字を読んで画を楽しめることは非常に難しいことがあげられます。でももっと大きい規格の漫画本のおおきさのデジタルのバージョンがあればその問題はなくなります。この過程が悪いかいいかわかりませんけど、必然のことです。ただの漫画ではなくて、本ももっと新しいデジタルのテキストに役割をわたしてなかればならない。人間の歴史がそれをよくあらわしています。でも本は完全になくなることはないです。ろうそくと電球の関係みたいに本も将来ではデジタルのテキストと比べてなにか特別な意味を持つようになると思います。日常的にデジタルを使って、特別のときもっと上品な本を楽しむようになると思います。(ヴェロニカ)
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